ツルカメって?
ゴチになります
昨日、母さん(たち)からプレゼントをいただいた。それがこれ。

300ミリリットル入りの日本酒六本の飲み比べセット。ありがたいですねぇ。
左から『酔心 広島三原市』、『八重寿生貯蔵酒 秋田大曲』、『越後桜 新潟阿賀野市』、『渓流朝しぼり 長野須坂市』、『多聞 爽 兵庫西宮市』、『四万十川 高知安芸市』
チビチビと呑んで6県の酒っこを楽しみたい。
似顔絵
とわちゃんとわかちゃんが遊びに来た。
「ジジ!この前、大曲の(しゅしゅえっとまるしぇ)で似顔絵描いてもらったよ」
「ほーっ、どれどれ」
見せてくれたのが下の似顔絵である。

なるほど似顔絵にするとこんな感じなんだ。
いいねぇとジジバカは喜んで壁に飾るわけであります。
秋田魁新報の土曜日の文化欄はとても楽しみなページである。そこには『遠い風 近い風』と『股旅日記』の二つのコラムと『菅江真澄旅の伝記』が掲載されている。1ページをじっくりと読んで土曜日の朝を楽しむ。
特に『菅江真澄旅の伝記』は池内紀氏が連載しており今回で52回目になる。これまでの連載では200年ほど前に菅江真澄が歩いた岩手、青森、北海道、青森の足取りをおっていた。3週ほど前から秋田に入ってきた日記を紹介している。
今日(2019.3.30日付)の第52回は『年の市』として秋田(久保田)の冬の市を書いた日記を取り上げている。その中で印象的だったのが次の内容である。
『ヘンな売り声が耳についた。「つかふなつかふな」とは何だろう。売り物を呼びかけて「使ふな」とはどういうことか。』
菅江真澄はしばらく足をとめてながめていてワカサギを「ちか」というのが訛って「つか」。それに「鮒」がつながって「つかふな」になっていることに気づいたという。
なるほどなぁ。それで思い出したことがある。40年くらい前のことだ。亡き母が妹のお産の手伝いで鎌倉に出かけたときのことである。母は手伝いも一段落し町に観光に出かけた。その時に鼻紙が欲しくなって「ちり紙」を買おうとし一軒の店に寄ったという。本人は
「ちり紙ください」
と、標準語で話したらしい。すると店の人は
「エッ?ツルカメ!鶴亀ですか」
と聞かれたということを秋田に帰ってから大笑いで話した。それ以来、我が家ではちり紙のことを「ツルカメ」と呼ぶことになったのである。
ティッシュなどという洒落た名前のなかった頃の話ですね。
で、菅江真澄の伝記になるがもう一点懐かしい場面が書かれている。
『(魚を)地面にじかに並べた店もある。雪という天然の美しい敷物がり、そこに花飾りをおびた品物がよく似合う。地面に並べるのが最高のディスプレーというものだ。売り手のおやじは、満足げにキセルでタバコをふかしている』
この内容を読んで子どもの頃を思い出す。当時、我が村で魚屋は大きな商売をしていた。「いさばや」と言われていた。冬になれば魚屋では木の箱に雪を敷いてその上に色々な魚を並べていた。並べられている魚はものすごくきれいだった記憶がある。
そして、冬が終わる頃になれば魚屋の一大行事は「雪室・雪小屋」を作ることだった。5メートル四方くらい真四角に深さ3メートルくらいの穴を掘って雪を詰め込むのである。その雪を夏の間に掘り出して魚の冷却用に使っていた。
あの作業する人たちや雪小屋から掘り出される雪の不思議さを子ども心にすごいなぁと見ていた記憶がある。
今日は終日ボーッと過ごしていた。何だかただのボケ老人かもしれないと思ったりしている。ま、仕方がありませんね。本日はこれにてブログは終了です。
「ホントはね勉強嫌い」こっそりと言う子に「そうだそれもありかも」
昨日、母さん(たち)からプレゼントをいただいた。それがこれ。

300ミリリットル入りの日本酒六本の飲み比べセット。ありがたいですねぇ。
左から『酔心 広島三原市』、『八重寿生貯蔵酒 秋田大曲』、『越後桜 新潟阿賀野市』、『渓流朝しぼり 長野須坂市』、『多聞 爽 兵庫西宮市』、『四万十川 高知安芸市』
チビチビと呑んで6県の酒っこを楽しみたい。
似顔絵
とわちゃんとわかちゃんが遊びに来た。
「ジジ!この前、大曲の(しゅしゅえっとまるしぇ)で似顔絵描いてもらったよ」
「ほーっ、どれどれ」
見せてくれたのが下の似顔絵である。

なるほど似顔絵にするとこんな感じなんだ。
いいねぇとジジバカは喜んで壁に飾るわけであります。
秋田魁新報の土曜日の文化欄はとても楽しみなページである。そこには『遠い風 近い風』と『股旅日記』の二つのコラムと『菅江真澄旅の伝記』が掲載されている。1ページをじっくりと読んで土曜日の朝を楽しむ。
特に『菅江真澄旅の伝記』は池内紀氏が連載しており今回で52回目になる。これまでの連載では200年ほど前に菅江真澄が歩いた岩手、青森、北海道、青森の足取りをおっていた。3週ほど前から秋田に入ってきた日記を紹介している。
今日(2019.3.30日付)の第52回は『年の市』として秋田(久保田)の冬の市を書いた日記を取り上げている。その中で印象的だったのが次の内容である。
『ヘンな売り声が耳についた。「つかふなつかふな」とは何だろう。売り物を呼びかけて「使ふな」とはどういうことか。』
菅江真澄はしばらく足をとめてながめていてワカサギを「ちか」というのが訛って「つか」。それに「鮒」がつながって「つかふな」になっていることに気づいたという。
なるほどなぁ。それで思い出したことがある。40年くらい前のことだ。亡き母が妹のお産の手伝いで鎌倉に出かけたときのことである。母は手伝いも一段落し町に観光に出かけた。その時に鼻紙が欲しくなって「ちり紙」を買おうとし一軒の店に寄ったという。本人は
「ちり紙ください」
と、標準語で話したらしい。すると店の人は
「エッ?ツルカメ!鶴亀ですか」
と聞かれたということを秋田に帰ってから大笑いで話した。それ以来、我が家ではちり紙のことを「ツルカメ」と呼ぶことになったのである。
ティッシュなどという洒落た名前のなかった頃の話ですね。
で、菅江真澄の伝記になるがもう一点懐かしい場面が書かれている。
『(魚を)地面にじかに並べた店もある。雪という天然の美しい敷物がり、そこに花飾りをおびた品物がよく似合う。地面に並べるのが最高のディスプレーというものだ。売り手のおやじは、満足げにキセルでタバコをふかしている』
この内容を読んで子どもの頃を思い出す。当時、我が村で魚屋は大きな商売をしていた。「いさばや」と言われていた。冬になれば魚屋では木の箱に雪を敷いてその上に色々な魚を並べていた。並べられている魚はものすごくきれいだった記憶がある。
そして、冬が終わる頃になれば魚屋の一大行事は「雪室・雪小屋」を作ることだった。5メートル四方くらい真四角に深さ3メートルくらいの穴を掘って雪を詰め込むのである。その雪を夏の間に掘り出して魚の冷却用に使っていた。
あの作業する人たちや雪小屋から掘り出される雪の不思議さを子ども心にすごいなぁと見ていた記憶がある。
今日は終日ボーッと過ごしていた。何だかただのボケ老人かもしれないと思ったりしている。ま、仕方がありませんね。本日はこれにてブログは終了です。
「ホントはね勉強嫌い」こっそりと言う子に「そうだそれもありかも」