表現の不自由な日本になるのか
言いたくありませんが・・・
暑いです。35℃ですね。朝から気温がグングン上昇。昼過ぎには南外村と大曲の境にある矢向トンネルの温度計は35℃をしめしていた。
大曲からの帰り道。南東の空に大きな入道雲が出ている。
車のラジオからは空電のガリッガリッというノイズがひっきりなしに鳴っている。
夕方には大仙市総合防災課から「秋田県竜巻情報第1号」というメールが流れてきた。そりゃそうだあの入道雲じゃナァと思っていた。しかし、まったく風も吹かずに大丈夫だったが大切な情報である。アベシンゾーが無理矢理出させているミサイル情報よりもよっぽどいい。
憲法違反かも
愛知県名古屋市で開催されようとした「表現の不自由展」が中止になったという。この展覧会には「従軍慰安婦」を象徴する「少女像」や、「九条を守れ」の俳句が公民館広報に掲載されなかったことなどが展示される予定だったようだ。
それがガソリンを撒くぞとか脅迫のメールが多数届いたことなどを受けた。さらに名古屋市長のカワムラという男が「(少女像は)日本国民の心を踏みにじるもので即刻中止を申し入れる」などの圧力をかけたという。何が日本国民の心を踏みにじるのだ。オレの心は全然踏みにじっていない。
それらのことを受けて愛知県知事は憲法違反が濃厚であるとの談話も発表し名古屋市長を批判した(朝日デジタル)。それについては当然、大村知事の勝ちである。ボクは支持する。だが、結局は開催を中止せざるを得ないと判断した。日本は非道い状況になっているといえよう。
行政のやるべきことは展示会を中止をさせるよりもガソリンを撒くなどのテロ予告とも言えることを徹底的に取り締まるべきだ。
そして、自由に表現することや鑑賞することの当たり前の権利が侵害される大村知事の言い分を正しく守るようにするべきだ。
結局、こうやって「検閲される国」への「忖度」がどんどん進むことになるんだろうなぁ。怖い日本になってきた。
先日、ブログで紹介した殿山泰司さんの『ベスト・エッセイ』には従軍した経験のある殿山さんが従軍慰安婦のことを書いている。ちょっと長いのですが引用します。
『部隊の中に設営されてた慰安所に、四、五名の朝鮮ビィがいたんだけど、これが敗戦の翌日に姿を消してしまった。それは煙のごとくふわぁッと消えてしまった。その慰安所の経営者というか責任者というか、人相風体かんばしからぬ、日本人の中年の夫婦者がいたんだけど、この巡査上がりみたいな夫婦も、ビィと共に見えなくなってしまった。みんな銃殺されたという噂が飛んだ。「そう言えば銃声を聞いたぞ」なんて言う兵隊もいた。朝鮮ビィたちは将校専用といってもいいくらいで、われわれ兵隊は時どき遠くからチラチラと、そのナマメカシイ姿を見かけるだけだった。何が慰安所だい。ふざけやがって。それにしても、何も銃殺することはねえと思うんだけどな。朝鮮へ帰してやればいいんじゃねえか。可哀相だよ。おそらくは不法拉致してきた女たちにきまってる。深く考えると滂沱と涙が出る。戦争というものはヒドイものだ。ヒドイものです。だからですね。日本国は武器という武器はみんな捨ててしまいました。そして新しいのをどんどん買っております。もう一度やるつもりなのよ、ヨ・ロ・シ・ク』
同じ文庫本の別のエッセイには次のような内容もある。
『終戦の日、オンナ達は山の斜面を下り、川を渡り消えて行った。独立した祖国へ帰って行ったのだ。兵隊のオレは秘密書類を燃やすのに忙しかった。煙がオンナ達のアトを追って行った。ホンマかいな。ウマイこと書きよるで。信じる人こそ倖せである。アーメン』
戦争に行って実際に見てきた殿山さんだから書けることだし言えることだ。真実である。
それが今になったら歴史をしっかりみつめないで従軍慰安婦なんかはいなかったことにしようなどと修正しようとする輩ほど醜いものはない。その修正しようとする「姿」は秘密書類を燃やそうとする姿勢にも現れているとボクは読んだ。殿山さんのこれらのエッセイが書かれた時代は今から20年以上も前のこと。
その頃にアベシンゾーが武器をひたすらに買っている状況をみごとに言い当てている。歴史の修正主義についても・・・。「あの頃のそんな時代」が着実に押し寄せている。と感じられて仕方がない。
これを書いていて思いだしたのが渡辺白泉という人が詠んだ一句
戦争が廊下の奥に立つてゐた
「廊下の奥」ではなく手前に堂々と胡座をかいている時代になってしまった。絶対に反対しなければ。
本日のブログはこれにて終了です。
戦争はとおの昔のことじゃなく玄関前で威張ってきてる