三流以下だよなぁ
湯ノ又八幡神社
今日は我が地域にある湯ノ又八幡神社恒例の祭典についての打合せ。久しぶりにお宮に入った。
やがて開かれる祭典について打合せ。
子羊の如く順順、卑屈
朝日新聞(2019.8.31付)の『折々のことば』に高見順さんの言葉が掲載された。
作家の高見順氏が『敗戦日記』に書いた言葉を鷲尾清一さんが引用して書いている。
高見さんが戦前から8月15日の敗戦の日をはさんで書き継いだ日記の言葉である。
『権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、子羊の如く従順、卑屈』
と、書いたという。
手のひら返しの日本人ってことだと思う。今のアベシンゾー政権のやり口そのものである。従順、卑屈プラス狡猾ってことだ。
悲しいくらいに的を得ている。
今日(2019.9.1付)の朝日歌壇に掲載された短歌。
「もう忘れ去られたころか」ひっそりと森友問題捜査を終える
観音寺市 篠原俊則さん
この歌について選者の永田和宏さんが「篠原さん、忘れることは間接的な加担。更に、森友改竄の中核と財務省が認定した理財局総務課長が捜査終了と共に駐英公使になって唖然」と評をしている。
唖然そのもの。日本の底は抜けているとしか言いようがない。
そして、このような短歌もあった。
経済と政治に続き表現の自由も落ちて三流となる
川崎市 小島敦さん
その通りだなぁと思う。テレビ番組や新聞報道も世界の五流に墜ちてしまった可能性が高い。読売新聞のオエライさんを突然イタリアの公使だかなんだかに任命するという「餌」を与える政権。日本の政治は五流もいいところだ。
午前中から地元の『楢岡短歌会』の編集会議兼勉強会。楽しくいろいろな話をした。そりゃあ結構厳しくもありましたが・・・。良かった良かった。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。
友曰く「タヌキのヤロー赤トマト完璧に喰い黄トマト残す」と