「余裕やゆとり」の大切さ

山、笑う

 昨日、南外村の山が緑色などのグラデーションになってきたと書いた。今日、晴れたので1枚撮ってみました。
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何となく山が笑っているように見えませんかネェ。


『最悪を想定しない国民性』

 今朝(2020.5.5付)朝日新聞に内田樹さんが『最悪を想定しない国民性』として「新型コロナと文明」という長文のコラムを書いていた。
IMG_0001_stitch_20200505213129942.jpg
この中に、これまでアベシンゾーやハシゲトオルなどがやってきた危機管理の最悪さについて書いている。少し長いが引用したい。

『危機管理とは・・・「丁と半の両方に張っておく」ことだ』という。
そして
『「それじゃあ儲からないじゃないか」と口を尖らせる人間がいるだろうが、その通りである。危機管理は「儲ける」ためにすることではない。生き延びるためにすることである。エコノミストはこれを「スラック(余裕・ゆとり)」と呼ぶ。スラックのあるシステムはそうでないシステムよりも危機体制が強い。
 例えば、感染症用の医療機器や病症は感染症が流行するとき以外は使い道がない。「病床の稼働率を上げろ。医療資源を無駄なく使え」とうるさく言い立てると(実際にそうしたわけだが)、感染症用の資材も病床も削減される。そして、いざパンデミックになると、ばたばたと人が死ぬ。
 そういう危機管理の基本がわかっていない人が日本では政策決定を行っている。先の戦争指導者はそうだった。「わが軍の作戦がすべて成功して、敵の作戦がすべて失敗すれば、皇軍大勝利」という「希望的観測」だけで綴られた作戦が重用され、「作戦が失敗した場合、被害を最小化するためにはどうしたらいいのか」というタイプの思考をする人間は嫌われた』
 そして、論点は日本人は希望的なことを「言霊」として大切にしてきたと述べる。そこから東京五輪開催の希望的なことなどに言及して「日本流」として
『何の備えもする必要がなかった未来』を「祝おう(予祝)」ということを招き入れようとしていたと見事に言い当てている。失敗を考えないのが日本人の考え方にあるというのである。
 パンデミックの失敗がこれまでくり返してきた日本の同一パターン上にある。
『そろそろそのことに気づいてもいいのではないか。気づかなければ、同じことがこれからも繰り返されるし、いずれはそれがわが国の命とりになる』
と、結んでいる。

 今、テレビには毎日のようにハシゲトオルのような人間が出て威勢のいいことを言っている。一部では次期総理に・・なんてとち狂ったことを言う輩がいるらしい。
 バッカじゃネーの。内田さんが言っている必死になって病床の削減や伝統文化の弾圧をやってきたのがハシゲなのだ。もしも(あってはいけないが)ハシゲが総理になどなったら日本はアベシンゾーの上を行く最悪の国になることは間違いない。
 そして、今の自民党がやっていることが地域の病院を統廃合しようとしていることだ。近くの大森病院なども対象になっている。地域医療のことなど全く考えていない。あくまでも効率・金儲けのことばかりなのだ。
 COVID-19のパンデミックが終わったときにもっともっと「余裕やゆとり」のあるもっと言えば「ムダのある」世界が実現してくれと願うのみである。

当面はアベシンゾーの退陣だけれどね。心から願っている。

  ものすごい夕焼けを見た帰り道「ウワーッ」と叫ぶね君がいなけりゃ
  何人も大切な人を失って叫んでいない自分を見つめ

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