9月始業には反対だ
うっすらと鳥海山
職場からの帰り道。うっすらと鳥海山が見えている。いつも通る平地の道で鳥海が全部見える場所が田屋村の1箇所だけである。
途中ではシシウドが一斉に白い花を咲かせた。
この花を撮影したのは雄物川の川端。
向こう岸からはカッコウの声が聞こえてくる。久しぶりにカッコウの声を聞いたなぁ。周囲ではオオヨシキリがギョギョシギョギョシと鳴いている。これから生存競争が始まるのだろう。と、思いながら帰ってきた。
9月に学校始業について
今朝(2020.5.26付)の朝日新聞に『夏休みの短縮に賛否 失った授業、取り戻すために』のコラムが掲載された。
そこには元小学校教員の塾講師だったという森田太郞さんの談話を載せている。
森本さんは「3~5月に授業ができなかったからといって、夏休みを短くするのは反対です。平日の午後や土曜日に追加で授業を詰め込む必要もありません。行事も子どものやりたいことをやるべきです。それでも時間は余るでしょう」と言う。
この後で学習指導要領などについて言及し、この時期だからこそ学校で学習指導要領を杓子定規にやる必要はない。子どもが「すごい」「知りたい」と感じられるような授業を準備する余裕を与えることが大切と言う。
ボクも森田さんの述べることに基本的に賛成である。メリハリをつけて授業をすることで2ヶ月程度の遅れはいくらでも取り戻せると思う。大学進学が心配だという声もある。それだって集中力で十分に追いつけるとボクは思うのだが・・・。
まして、夏休みの短縮なんか愚の骨頂だと思う。エアコンの整備されている教室がどこにありますか?生徒も教師も熱風吹き荒れる地獄の教室に詰め込まれて勉強なんかできるわけがない。
子どもたちと教師を信頼して「遅れた分は工夫してやろうぜ」と教育行政は激励すべきだ。
9月新学期スタートをもしも導入したら日本の教育は間違いなく何年も遅れてしまう。そのことのデメリットを語るべきだ。
政治家は教育を語れば「さも仕事をした」と考えているフシがある。政治屋のパフォーマンスだけで9月始業なんか考える必要はない。
オーッ忘れていました。日本の安全保障のためにもアベシンゾーの退陣こそ一番大切なことだ。とっとと辞めてくれ。
本日はこれにて。
ギョギョシ鳴くカッコウも鳴く川岸は今年も生存競争スタート
「言っていい?そのジャケットいいよなぁ」恋した時がちょっとあったゼ
「ディランのCDありますか?」もし聞かれたらキュンとするかも