敗戦の日
うろこ雲
昼頃、空を見上げたらなんとまぁ見事なうろこ雲がかかっている。
スッゲぇなーと思いながら、たまたま来ていたとわちゃんとわかちゃんたちと見上げた。
さて、今日は「敗戦」記念日。日本では終戦記念日と言うようだがまやかしの言い方だと昔から思っていた。
今朝の朝日新聞にもそのことがコラム『日曜に想う』に『終戦はごまかしのことばだ』として掲載。
その通りだと思う。
あの戦争が起きたのとは仕方がない。と、言うのは簡単。しかし、過ちを過ちとして国民の疑問と同じような目線で考えた人たちも確かにいたことを書いている。
全文を読むのが一番いいのだが、このコラムの最後の部分をコピーしたい。
『歴史を語り継ぐ意味を思う。惨禍と共に過ちを直視した人々の意思を思い起こすことが、戦争への歯止めとなろう。安倍晋三政権も6年前の夏、戦後70年談話を残した。それが戦後最初の首相の意思を継ぐ意味を持ち、今後の首相に歯止めとして継承されることを願う』
つまり、アベシンゾーはその侵略について6年前の談話に「侵略」を入れた。ところがアベシンゾーはその後、戦争法案を強行採決。今日の戦没者追悼式ではスガーリンが侵略に対する謝罪の言葉や不戦の誓いなどは欠片も話さなかった。
そこでさっきのコラムの続き。
『談話は「侵略」の言葉が入ったことだけが本質ではない。戦前の歴史を総括して「力の行使」に対し「国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」と、日本が「進むべき進路を誤り、戦争への道を進んで行きました」と明記した上で、あの言葉を使うのだ。
「日本は、敗戦しました」』
今日、戦犯が祀られる靖国神社をポエム・コイズミシンジローや文科大臣ハギーダたちが参拝したという。教育を司る文科大臣が靖国神社に行くことはまずいだろう。さらにシンジローが話すことの裏には「もう一度(○○)」の願いがこもっているとしか思えなかった。
今日は終戦の日ではない。敗戦の日なのだ。
COVID-19感染が止まらない。
五輪は関係ないとうそぶいているスガーリンやムライ宮城県知事の鼻を明かすようなウイルスの勢いである。と、言うよりも自民党を中心とする日本の政治家たちの覚悟ができているのかとウイルスが問うていると言ってもいいだろう。
今、とりあえず決定すべきはパラリンピックを中止することだ。
国会を開いて速やかに決めてくれ。
ジェリー藤尾が亡くなった。先日、中嶋弘子のことを書いたがやはり『夢であいましょう』のメンバーだった。彼はあの番組で『遠くへ行きたい』を歌い大ヒット曲に。そして、役者も貴重なバイプレーヤーに。椿三十郎のチンピラのことはブログに書いたような気もするが・・・。また一つ、思い出が増えてしまった。
今日のアマチュア無線
7メガ オーストリア、ウクライナ
本日はこれにて。
また一つ思い出の蔵にしまい込むジェリー藤尾の逝去の報で