軽んじられた民主主義
蓮の花
毎年のことだが南外村田屋村の田んぼには蓮の花が咲き始めた。
つい先日まで泥の湿地帯だったが、ある日突然のようにきれいな花が咲き始めた。
今日は秋田市の文学資料館まで。所属する短歌会の定期刊冊子の編集会議でGO。
文学資料館には母さんがいる。去年だったか一昨年だったか忘れたが資料館の缶バッジを作ってプレゼントしたことがある。そのバッジが職員の方々にとても評判らしい。
と、言うわけでそのバッジを今年もと思い作り届けることにした。
ついでに、とわちゃんが所属しているソフトテニスの仲間たちの缶バッジも一緒に作った。
はたして喜んでくれるのかなぁ。
ボクが所属する短歌会のメンバーが詠んだ短歌が7月8日付魁新報の小さなコーナーに掲載された。
ボクのは
公式のデータ改竄廃棄して隠蔽もする底抜け日本
というもの。これが短歌?と言われると「ハイ、そのつもりで・・・」としか答えられませんが・・・。
今日、友人からメールが届いた。要約して少し引用します。
『8日、新聞掲載された短歌(ボクの)を拝読し、地域の神社の例大祭の準備をして、お昼に帰ってくると「安倍晋三元総理、銃撃される」のニュース。この短歌と「元総理、凶弾に倒れた」ことが重なりあっていました。
その後、「民主主義への挑戦」とか何とかと言うことが叫ばれていますが、このような事件をなくすことが政治の基本ではないかと、ずっとくすぶっています」
と、いう内容と一緒に今日(7月15日)に秋田魁新報に掲載された作家高村薫さんのコラムの記事のコピーが添付されてきた。
その高村さんのコラムのコピーがこれ。
本来ならば全文コピーしたいが無理なので簡単に要約。
まず、高村さんはアベシンゾーが銃撃されて日本は興奮状態にある。と、分析。
さらに
『死者に鞭打つなという風潮は強いが、民主主義を軽んじる振る舞いを繰り返した安倍氏の功罪は、冷静に判断されるべきだ』と、言い切る。
そして、モリカケ・サクラ・アベノミクスなどなどアベシンゾーの非民主的な手法に言及する。
だが、この事件によって一定の批判さえも吹き飛ばしてしまったと言う。
でも、高村さんは「こうした過剰反応こそ民主主義への脅威だ」とし「事件と安倍氏の功罪を分けて考えることこそ、民主主義国家のあるべき姿のはず」だと喝破する。
そして、アベシンゾーが統一教会へのビデオメッセージなど軽はずみなことをしたことを述べながら結論を次のように書いている。
『いずれの事件も、阻害されたら浮かび上がれない社会のありようが底流にあるように思える。原因がなくならない限り、同様の事件が繰り返されるリスクはある』
そうだよなぁとこのコラムに納得納得。
しかも、カルト教団のことをズーッと保護してきたアベシンゾーのジー樣から始まった自眠党にこそ、アベシンゾーの事件は原因があったとボクは考えている。
さて、昨日書いた「国葬反対」は譲れません。次のような文がある。
『「国葬令」が日本国憲法の施行で失効して以降「国葬は違憲」です。なのでノーベル平和賞の佐藤栄作氏は「国民葬」、中曽根康弘氏は「合同葬」と憲法を遵守した。なのに安倍氏は平然と憲法違反の国葬?
立憲の泉代表は「国葬を静かに見守る」と。立憲主義はどこ行った?』
立憲民主党よ何を考えてるんだ?相変わらず「提案だけするのか?」
社民党の福島さんは「これは検討すべきことだ」とはっきりと言ってる。彼女が先日の参院選なんとか当選して良かったナァと心から思っている。
と、言うわけでアベシンゾーの国葬には反対である。
今日のアマチュア無線
やはり、ボーズ。やる気がないだろうと言われそうですが一応日本国内とは2~3局は電波が出ているかどうかの試しで交信はしていますが・・・。
セロリー日記
相変わらず高い場所が好きだ。
アレッいないぞ?と思って天井を見上げると一番上で寝ています。
本日はこれにて
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