廊下の奥に戦争が・・・
今日は塩竃へ
肌寒い朝。そして、小雨がズーッと降り続けていた。
今日は塩竃まで出かけた。3年ぶりだろうか。塩竃のお父さんが10年ぶりとかでコンピュータを新しくしたとのこと。何とまぁWin11のようだ。設定も含めて色々と見たい部分もあったのでGOでした。
なるほどサクサク動くCPである。これから色々と楽しめるだろうなぁと思いながらとんぼ返り。
雨の降る玄関先で一枚。
今日の魁新報にボクの所属する短歌会「かりん秋田」の同人が詠んだ短歌が掲載された。ボクのは次のようなもの。
反省をろくにしないで七十余年また戦争が廊下の向こうに
これは1940年当時に渡辺白泉という人が俳句『戦争が廊下の奥に立ってゐた』という反戦句を詠んでいた一句の本歌取りみたいなものです。
ここのところ北朝鮮がミサイルを撃っていると大騒ぎである。
どうも、この北朝鮮のミサイル撃ちが右翼政治家たちに「対抗措置をせねばならぬ」とか「もっと防衛装備を準備すべきだ」などと声高に言わせるのである。
何だかなぁ。と、思ってしまうのだ。日本にミサイルが落ちるわけがない。と、言うよりも打ち込むわけがないとボクは考えるのだが・・・。もし万が一そんなことが起きたら北朝鮮は瞬時にダメになってしまうとボクは思う。
どんな根拠があるの?と、言われると困るのではありますが・・・。
ただ、自眠党のオノデラゴテンや自眠党の連中はどんだけ戦争がやりたいんだと呆れているのです。
戦争で儲かるのは軍事産業と戦争賛美の政治家たちのみ。これは歴史が明らかにしている。あまり、ミサイル飛翔問題には一喜一憂しないことかなぁと一杯呑みながら考えています。もう、戦争は廊下の奥に・・・なのです。
今日のアマチュア無線
160mはやっぱり海外の局が見えない。2~3の国内の局と交信を楽しんだ。夕方にはアメリカの西海岸とニューカレドニアが見えていた。
セロリー日記
今日、オッカアとともに宮城に出かけたので日中は誰も人間のいないところで過ごしていた。還ってきたら大喜びで高いところに登ってボク等を見張っている。
やっぱり家族の一員なんだろうなぁと思ってしまう。
本日はこれにて
某国がミサイルを撃つ度ごとに平和憲法危うくなりぬ