平和万葉集より
1ヶ月ほど前にもアザミの写真を掲載した。あれから30日以上経ってもアザミの花は同じ場所に咲いていた。
ただ、前回よりも花が小さくなり枯れた部分もあった。
今日から11月。それでも今日はとても良い天気で過ごしやすかった。
今日のアマチュア無線
今朝、間違って午前3時半に起床。160mを聞いていたらアラブ首長国連邦がピコンと入感。バンドニューなのでオッ!と思って呼んだがすぐに消えてしまった。残念・・・・
あとはヨーロッパロシアとアジア圏ロシアそしてフィンランドと交信できた。交信できるだけでありがたいのである。
今日もK値が3を示している。期待できないなぁ。
『今日の短歌 WEB版』
薩摩藩支配せしより琉球に苛斂誅求の語彙は居坐る
岩田正『平和万葉集 巻3』より
手もとにある『平和万葉集』4冊(1986年から5冊刊行されたがボクの手もとには「巻2」がない)の「巻3」にボクの所属する短歌会「かりん」の主宰者である(あった)岩田正さんが短歌を寄せている。岩田さんは数年前に亡くなっている。
この歌の意味は「薩摩藩が江戸幕府に隠れて支配していた琉球(沖縄)に対する苛斂誅求(むごく厳しい取り立てなどをおこなった)という語彙は今も残っている」だろう。
そして、奥さんの馬場あき子さんも同じ本に次の短歌を寄せている。
琉球処分ここにして聞く沖縄にやまとを聞けば恥多きなり
馬場あき子『平和万葉集 巻3』より
馬場さんの歌は「琉球処分という言葉を沖縄で聞くと(やまと)という言葉は恥ずかしさに溢れてしまう」という意味だと思う。
二人とも沖縄に心を寄せて詠んでおられる。
今、イスラエルによるガザ攻撃が世界中の注目を浴びている。イスラエルは即刻ガザの攻撃をやめるべきだ。つまり停戦をすべきなのだ。ところが日本は国連が発動しようとした停戦条約にアメリカのご機嫌をうかがい棄権したとのこと。
さもありなん。突然、イスラエルとガザのことを書いたが沖縄と日本(国)との関係に類似しているからである。
それは昨日のブログにもチラッと書いたがキシダメ日本政府が沖縄に対して行おうとしている代執行は、まさにイスラエルがガザを攻撃しているのと同じ構図だ。違いは住民が命を落としていないだけだ。
国を挙げて小さな地域をドシャメシャに攻撃している図。それが沖縄だとボクには見える。
『平和万葉集 巻3』は2000年の発行。その頃に岩田さんも馬場さんも沖縄の置かれてきた歴史に対して憤りを詠んでいる。それが20年以上も経った今も全く変わらないという現実。いや、もっと非道くなっているのかもしれない。
しんぶん赤旗(2023.10.30付)俳壇欄に俳人の堀田季何さんが『平和の手段』というコラムを書いていた。この中に
『(昔からの戦争や虐殺の記録に目がとまる、そのことによって無力さを覚えるばかりだが)それでも、人類は、戦争をしない努力を、および平和を維持する努力を、常に、最大限すべきだと、筆者はかたく信じている。そして、その努力の手段として、俳句をあげたい』
それは俳句ばかりではない。短歌にも言えることだとボクは思う。
短歌も俳句と同じように『平和の手段』だと思う。
ボクも2022年に発行された『平和万葉集 巻5』に岩田さんと馬場さんにならって2首掲載してもらった。
たくさんの犠牲のもとに憲法はつくられました大切なのです
伊藤寛雄
今、その平和憲法をズタズタに破壊しようとしているキシダメやコーメー党、イシン、コクミンなどの政党が跋扈している。絶対に許されるモノではない。
岩田さんと馬場さんの歌はそのことを看破している。平和の手段としての短歌。下手くそだがたまには詠んでみたいと考えている。
セロリー日記
セロリーをゴミのような物に溢れた棚がたくさんある無線部屋につれてくる。するとセロリーにとってゴミに溢れた棚はキャットウォークなんだろう。あっちに上がったりこっちに下がったりして遊んでいる。
そのうち飽きると天井に一番近い場所で様子を窺う。
格好の遊び場なんだろう。たまに無線機の上を闊歩されるのはやめてもらいたいのだが・・・。
本日これにて
この国に希望はあるか自問するダメとOK交錯してる