電話番号33番の乙


春紅葉

 雨が続いて木々の緑が少しずつ少しずつ色づいてきた。
 今朝のラジオを聴いていたら鳴子の若女将(アナウンサーが若女将と言うのに少し違和感をおぼえたが・・・)がこの季節の山々の色が淡いピンク色になることを「春紅葉」と呼ぶとのことだった。
 なるほど春紅葉ねぇ。そこで・・・・。

    山々は春紅葉の紫にほんのり染まり気持ちほんわり


電話

 塩竈歩きレポートその3
 鹽竈の町中を歩いていたら古い酒肉屋さんの建物があった。酒肉店とは何とすごいのだろう。酒池肉林である。しかし、この店も津波の被害で改築をしなくてはいけないようだった。
 看板を眺めたら「電話421」と書いている。塩竈で421番だったらかなり昔に引かれた電話だったろうなぁと思った。

 ボクが子どもの頃に電話は基本的に役場や学校と一部のお金持ちの家にしかなかった。だから役場や学校の電話は一桁台の番号が多かった。その名残で役場や学校の電話番号の末尾は2111とか4004とかになっているようだ。まぁ、これは確かではありませんが・・・。

 ボクが初めて電話にさわったのは外小友小学校の職員室の壁に取り付けられた電話機だった。本体は四角い形で送話口が真ん中付近にあり受話器が左側からコードで伸びていた。電話機の右側には交換局を呼び出すグルグル回すハンドルがついていた。
 先生が「ハイ話してみて」とボクに言ったのだが内気で無口で訥弁なので、一言も話せずに電話機の前にただモジモジと立っていた記憶がある。

 それから何年かして我が家にも電話がきた。当時は電話普及の時代でとにかく多くの電話を安価に設置するために共同電話も多かった。我が家も父母と仲の良かったオンチャの家と共同で33番の甲と乙の番号を分け合って電話をひいた。
 電話機は壁掛け式ではなく黒い卓上型になり送受話器は一体型になっていた。ダイヤル式ではなく電話機の右側にあるハンドルを回して交換手を呼びだし「何十何番」と電話番号を言って相手を呼び出す方式だった。その後、しばらくしてからダイヤル式に変わってゆく。
 電話が普及したと言ってもまだまだ全世帯には行き渡らない。時々、呼び出し電話で近所に「電話ですよ-」と駆け回った記憶がある。
 あるお爺さんは電話の古い型しか知らないらしく送受話機を耳にあてたのはいいが送話口を頭上の方にして「もしもし、もしもし」と連呼していたのも懐かしい。

 当時の電話は引き込み線の関係なのか玄関付近や居間からちょっと離れた場所に置かれていた。もしも女の子から呼び出しがあったりすると大変なことになる。皆が聞き耳を立てていたような気がする。もちろん電話がかかってくるなんてことはなかったが・・・。
 「電話でキッス」なんて歌もヒットしたのだから電話は人の心をつなぐ「何か」を持っていたんだろう。

 今、一人一台の携帯電話の時代になるとは・・・。電話機を舞っている純情なドキドキ感なんかはないんだろうなぁ。

 本当かどうかわからないが最近では古いダイヤル式の電話機を見ると番号の部分に指を入れて回さずに番号の部分を押す子どもがいるらしい。

 ボブ・ディランの歌ではないが「時代は変わる」んですねぇ。


我が家のとわちゃん。久しぶりの登場です。最近、リズム感が良くなりボクがギターを弾くとそばに来て弦をたたいて喜んでいる。だからギターの音は中途半端だが循環コードを弾いてやると大喜びでリズムをとるのだ。ウーム天才だぜ。ハイ。
と、言うわけで本日のブログは終了です。

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