瓦礫の最終処分場(その2)


短歌に見る放射能への懸念

 南外には50年を数える「楢岡短歌会」がある。年に4回短歌誌『楢岡』が発行される。先日、4月号通算第346号が届いた。
 『楢岡』には湯沢に住んでおられる伊藤辰郎さんが『最終処分場』と題して5首寄せている。伊藤辰郎さんは南外村が故郷で現在70歳前後の方である。長い間、教員として勤め今は湯沢に住んでおられる。
 伊藤さんの『最終処分場』の歌を3首引用させいただく。

   放射能懸念の瓦礫故郷が最終処分場との報 嗚呼

 岩手県県北部被災地の瓦礫が大仙市に運び込まれるという。確かにフクシマからは遠い。しかし、福島原発の放射能は薄く広く日本国内に広がっているのだ。その瓦礫の放射能レベルは測定すると低いのだろう。しかし、焼却して灰にすると濃縮することになる。その灰の最終埋立地が故郷南外村であるという報道が流れ愕然としている様子が手にとるようにわかる。

   反対の地多き瓦礫受け入れて大合併の市名は挙がれど

 被災地の瓦礫を積極的に受け入れようとする自治体はない。しかし、あのタカ派の東京都知事が受け入れを表明した途端に秋田県知事が受け入れ表明。それに呼応して大仙市長が手を挙げた。確かに潔い判断だと最終処分場に関係のない人たちには称賛されるかもしれない。
 しかし、その瓦礫を焼却した最終処分場が南外。確かに瓦礫を受け入れて被災地を助けようとするのは間違いではない。しかし、方向性が間違っている。どうしたんだろう。こんな気持ちが伝わる。

   親たちの反対運動潰えしと故郷のこの将来いかにならんか

 若き親たちよ。この最終処分場の問題を黙っているのか。反対運動がなくなったら故郷の放射能汚染の恐れは増えてくる。故郷を担うであろう子供達の将来さらには故郷南外はどうなるのか。慨嘆する気持ちである。

 伊藤辰郎さんとは2~3回お会いした。まっすぐな方である。吉永小百合の大ファンで故郷を心から愛している方だった。
 その人の短歌が瓦礫の最終処分場に南外が決まったことにどうしたらよいのか黙っていられない。地団駄踏む気持ちが歌から伝わる。

 今朝の新聞などを見ていると淡々と大曲花館地区の処分場で焼却している様子を報じている。テレビでも大仙市の栗林市長が焼却場に行って焼却の現場を視察している様子を映し出す。放射能の測定値も高くないようだ。市長は徹底して数値などをオープンにすると話していた。
 だが、問題はそこではない。事前に周辺の住民たちに広く意見を聞きながら進めるべきだった。「こと」は放射能。普通のゴミ処分場の汚染問題よりも深刻さを含んでいる。

 ボクの立場をはっきりさせておきたい。瓦礫の処理は被災地でやれるように政治手動でやるべきだ。処分(焼却、リサイクルなどすべて)をするための予算をつけ人を雇い速やかに実施すべきだった。そのことで当面の雇用も生み出せる。さらに言えばムダな輸送費などもかからない。
 行政はムダに1年という時間を費やした。消費税増税なんか被災地の復旧のあとで良いのだ。つまり、最終処分場を南外にもってくるのは反対である。もちろん被災地の瓦礫処理を他県などで実施するのは手を尽くせなくなった時にやる最終手段だと考えている。

   「オレはいま米を作るの心配だ」友の電話に放射能憂う


我が家のとわちゃん。今日、一緒に能代に行き彼女が約1年間近く育った部屋にサヨナラをしてきた。まぁ、全然自分が育った部屋だなんてはわからなかったようですが・・・。彼女にとっても一つの節目である。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。

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