三回忌と二十三回忌
まったくなっていません。その理由は母の三回忌で南外の常泉寺に行ったのです。出迎えてくださった方丈さんが言います。
「お母さんの三回忌ですが調べてみましたら、他の方の二十三回忌もありました」
「エーッ!?}
「アーッ」
と、思い至ったのであります。弟の二十三回忌になるのでした。すっかり忘れていたのである。まったく・・・・。方丈さんは
「卒塔婆を準備しておきましたので」
と、話してくださる。
ありがたい。少しは面目を挽回できた。アレッこの言い方は正しいのかな?それはどうでもいいのだが母と弟の三回忌と二十三回忌のお経を一緒に拝んでいただくことにした。
と、言うわけで本日は南外の常泉寺にて回忌でした。回忌では般若心経そして修証義(しゅしょうぎ)の第五章(行持報恩)を詠んでいただいた。
ボクはこの修証義の中の言葉の一つがとても好きである。
『徒(いたず)らに百歳生けらんは恨むべき日月(じつげつ)なり、
悲むべき形骸(けいがい)なり、
設(たと)い百歳の日月は声色(しょうしき)の奴婢(ぬび)と馳走すとも、
其(その)中一日の行持を行取(ぎょうしゅ)せば一生の百歳を行取するのみに非ず、
百歳の佗生(たしょう)をも度取すべきなり』
要するに「生涯でどんなに悪いことをしても、少しでも良いことをすれば救われますよ」ってことを道元禅師は言ってるような気がする。
まぁ、頑張って生きようぜってことかもしれません。
そんなことを思いながら回忌の法要は終わった。その後は大曲の「大和」で皆で母と弟と父を偲んでちょっと一杯。いや、かなりの一杯。
「大和」は大曲駅前にありなかなかに良い店です。
三回忌遠ざけていた母の顔ニッと歯を出し語りかけそう
東京都知事選。自民党推薦の舛添某氏が当選確実と午後八時にテロップに。すぐにチャンネルを変えて・・・。投票率の低さもさることながら、これが民意だと大手をふるって好き勝手をやってくる輩の姿が見えてくる。はっきり言いたい。日本はまだまだダメだ。テレビを消して寝ます。
これにて本日のブログは終了です。明日からの仕事を頑張ろう。