アラ汁の思い出


雨降り

 今朝は一変して雨降りであった。特にスリップもしないので結構走りやすい。
 通勤路であるグリーンロードの山間では小さな雪崩が起きて道路に雪が落ちている。前に通過した車が落ちてきた雪を慌ててかわしたと思われるタイヤ痕があった。ビックリしたんだろうなぁ。

 昨年の冬、グリーンロードは地滑りのために封鎖されていたので通っていない。今回、初めて一冬通して通過する道路だ。もしかすれば今後の融雪状況では不測の事態が起こるかもしれない。と、雪の壁を見ながら走り抜けた。

 仕事先に着くと小雪になった。そんな殺風景な景色を1枚。



「アラシープ???」

 1968年(昭和43年)4月。ボクは学校を卒業してすぐに宮城県N農業高校に赴任した。もっとも今は校名変更されて「農業」がとれているようですが・・・。

 宮城県は秋田県と違い公立高校でも「秋田県立」のように「立」がつかない。「宮城県~~高校」となっている。赴任する時に本当に公立高校なんだろうかなぁと少々不安に思いながら向かった。

 その高校で部活の顧問として最初に与えられたのが陸上部の副顧問。ボクは我が村で「ベゴにブレーキ人間」と言われるくらいの鈍足人である。それが陸上部の顧問になるとは・・・。と、ボクは考えたのだが仕事では引き受けるしかありません。ところで「ベゴにブレーキ」をあらためて説明する必要はありませんが一応。「のたのた歩く牛にブレーキがかかっているような鈍足」ってことです。ウーム、見事な表現ですねぇ。さすが南外。

 当時、その高校は毎年のように全国駅伝大会に出場する有力校だった。その陸上部を率いる顧問の先生も豪傑であり、ボクもいろいろなことを教わった。印象に残っているのは「アラシープ」である。

 初の勤務が始まってすぐに春の合宿が始まった。その頃は顧問が食事の準備をする。自家用車なんて無い時代。もちろんスーパーなんかも無い。買い出しは学校の近くの雑貨屋や魚屋に自転車か徒歩ででかける。 監督はなじみの魚屋でマグロなどの高級魚から落ちた骨などのいわゆる「アラ」を安い値段で買ってくる。もしかすれば貰ってきたのかもしれない。
 合宿所に帰ってから、それらの魚のアラと野菜をブツブツと刻んで大きなナベに放り込み味噌味で煮込む。

「ハハハハ。これが一番ウメーんだ」
「ハーッ」
「アラ汁だ」
「ホーッ」
「アラスープと言うんだ」
「へーッ?」
「いやいや、アラシープだ」

と、わざわざ訛って味見をする。それからアラ汁は「アラシープ」になった。
 さらに監督は昼食前だったが調味料として購入していた日本酒の一升瓶から茶飲み茶碗にコクコクと酒を注ぎボクに「ほれっ」とだす。
 そして自分の茶碗にも一杯注ぎ「グイッ」と飲み干す。黙って飲まないのは失礼に当たるのでボクも「いただきます」と飲み干す。
 この禁断の味がなかなかに悩ましい。まだ、運転免許証の無い時代の話である。

 宮城県で初めて食べた「アラシープ」が抜群に美味かった。骨の間に付いてる肉をせせり、頭の肉を取り出し目玉を突ついてひたすら自然の恵みを口中に運ぶ。至極の味であった。
 アラ汁。なかなか奧の深い地域色のあふれるご馳走ですね。

    アラ汁の頭と骨と目玉など残らず食べてフフフと笑う



我が家のとわちゃん。江ノ島水族館で撮影したイルカショーのビデオが大好きだ。5分ほどの映像だが一日に十回以上見ているようだ。不思議な動きが好きなんだろうなぁとジジバカは考えている。ちょっと渋い顔をしたとわちゃんの顔です。
これにて本日のブログは終了です。

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