先生の資格


時雨模様

 いよいよ冬の足音が聞こえてきた。雨の冷たさが増してきた。今日は一日中シトシトジトジト。そして、風も強かった。道路には落ち葉が車輪に押しつぶされてアスファルトは黄色く変色していた。
 写真はそんな雰囲気を白黒で撮ってみた。

    霜降も無事に過ぎたと思ったら荒れる時雨れる心のように



感性の大切さ

 先日、教員免許が国家試験になるかもしれないと書いて「あり得ない」とブログに書いた。今日(2011.10.25付)の毎日新聞の『火論(ka-ron)』というコラムに毎日新聞の編集専門委員の玉木研二さんが『教員の資格』を書いている。少しまとめておきます。

 最近の教育界では不祥事や学力低下論を背景にして「先生の資質」論議がかまびすしい。民主党は政権交代時に「教員養成6年制」を掲げた。自民党は免許更新制を残した。しかし、どちらもまたカチッとした制度に固まっていない。だが、先生要請にハードルとチェックを増やせば質が向上するという考え方が強くなっているように思える。
 「資質向上」に異論はない。だが、試験や研修の量がそれを約束するわけではない。

 上のように書き出している。ボクもその通りであると玉井さんの意見に大賛成だ。教師の資質向上が必要であることにまったく異論はない。

 さらに玉井さんは日中戦争当時の代用教員の例を引いて教壇に立った「無資格教員」の存在の大きかったことをあげている。文科省も「学制120年史」で代用教員の存在の大きさを認めているという。
 そして、代用教員は「学校に規制の枠をこえて若いエネルギーを呼び込んだという点で、あらためて再評価すべではないだろうか」という作家井出孫六さんの言葉を引用している。
 (教員として)肝心なのは島崎藤村の童話を知ってるかどうかではない。感性のようなもの。それは国家試験で測れようか。このように玉井さんは疑問を呈している。

 ボクの母も女学校を出てからすぐに地域の小学校(国民学校かもしれない)で代用教員をしていたらしい。ボクが生まれてからは辞めたようだ。若い頃の写真を見ると多くの生徒たちと一緒に写ったものがある。笑顔が輝いている。
 良い教師だったかどうかはわからない。ただ、ボクが小学校の頃に我が家に遊びに来る近所のオドさんやオガさんたちが「エーコ先生、エーコ先生」と呼んでいるのを聞いていた。親しみやすかった代用教員だったのかもしれない。

 そして、半世紀も前のことだから時効だろう。ボクの中学校のN先生が突然辞めた。隣のクラスの担任だった。どうして辞めたのかわからない。おそらく教員免許証の偽造だろうという話があった。だが真偽はわからない。ボクらは皆そのN先生が大好きだったことは間違いない。ボクらの生き方や考え方に大きな良い影響を与えてくれたと信じている。

 先日のブログにボクは『「一つの人間性」を持たなければ生徒はついてこない。つまり、教育は成り立たない』と書いた。玉井さんのいう『感性』とイコールである。

 能力(効率)と数値アップを導入しようとする今の教育行政に未来はないとボクは読む。効率と数値主義は先生たちにストレスがかかりすぎる。さらに不祥事が出る可能性をはらむ。そうでなければ病気の先生たちが増加する恐れがある。
 色々な大学でこれまでのように色々な方法で免許を取得できる道を残すべきである。そこに人間性や感性(もしかしたら強靱さしなやかさ)の備わった教員が育ってくると信じている。教員免許の国家試験には反対であると今一度書いておく。



我が家のとわちゃん納豆好きです。納豆パックを見ると独り占めしようとするほど手を伸ばす。一歳になったばかりの子なのにエライっ。カゼはほとんど治ったようである。良かったなぁ。
これにて本日のブログは終了です。

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