「国益」って何だ!?
好天続き
春頃のブログに書いたことがあるのだが職場の取り付け道路に赤い花がベルト状に植えられている。そして、片側には桜並木。
その桜並木が紅葉している。
もうすぐ落葉するだろうなぁ。
それにしても好天が続いている。今日で連続5日だから秋晴れの嬉しい天気だ。こんな好天で気温が高くなればいよいよカメムシ(このあたりの秋田弁ではアネッコムシ)の活動時期である。
冬越しをするためにできるだけ室内に入りたいから暖かい窓際には多くのカメムシが張り付く。
そして、少しでもすき間があれば部屋に侵入するから手に負えない。嫌いな人はヘビよりも怖いと言うから相当な強者である。
学生時代に生物の実験単位を取得するために、ある研究室で実験実習をした。多分、昆虫の関係だったと思う。その時に材料になったのがカメムシ。指導して下さった方が
「カメムシが大量に発生して対応してくれと研究室に連絡が来て・・・」
と、話ながら広口瓶に一杯に入ったカメムシを持ってきた。
ムムッと身構えたが「あの強烈なニオイ」はしない。どうしたのかなぁ事情を聞いてみたら
「臭いのを我慢して一匹一匹ピンセットで捕ってアルコールに漬けた」
とのことだった。アネコムシへの対応は難しいとの話もしていたなぁ。
ニオイがしないので全く問題が無い。小さな頭の部分をピンセットで切って染色体の観察をしたと思う。「思う」だから記憶に残っていないのだ。これが強烈な臭いの中でやったらもっと印象に残っていたと思うのだが・・・。いや、ボクの勉強への取り組みが中途半端だったのが正解かもしれない。
そんなアネコムシの縄張りに人間が入り込んでいるのだから家の中に入ってきても文句は言えないと思いボクは黙って「アネコムシ・バスター」つまりペットボトルに見つかった個体を一匹一匹入れている。
飛べ!アネコムシよ大空へ。秋も深まってきたなぁ。
ムダな「自主規制」は自分の首を絞める
今朝の魁新報に文芸話題として『言葉の封殺に危機感 安保法成立 歌人が緊急シンポ』が掲載された。そこには集団的自衛権関連法の成立を受けて歌人が「時代の危機に抵抗する短歌」で話されたシンポジウムの内容を報告している。
歌人の吉川宏志さんは「異常な状態が異常と思われなくなってきている。考えかたはいろいろでも、自分で考えることが重要だ」と呼びかけたという。
永田和宏さんは次のように危機感を述べている。
『言葉の危機的状況をめぐって、戦前の「非国民」「国賊」と同じような言葉が現在の「国益」。反対できなくさせてしまう』また、永田さんは今回が60年安保と違うのは「法案が通った後でも挫折していない。反対が一過性の熱狂ではない。いかに継続させるのか」とも分析する。
そして、黒瀬珂瀾さんは次のように指摘している。
『権力者が表現の自由を奪うよりも、民衆が自ら(表現の自由を)献上してしまう動きの方が強いのでは』それに対する試みとして「日々の小さな表現、他者の声に耳を澄ませ、殺されそうな声を拾うこと」と述べた。
最後に沢村斉美さんは、近い将来自衛隊員が犠牲になった時に国中が悲しみ戦死者をたたえるムード一色になる状況を想像して
『その時、わたしは不謹慎なことを言えるだろうか』と自問しているという。そして
『自分の中で他者の目をどう保てるのか、そこに自主規制に陥らないヒントがある』と、話したという。
結局、戦争に向かう時に国民は「自主規制」のような形で知らず知らずのうちに「協力」してゆく。そして、気づいた時には・・・・。と、なるのだ。そんな風にはならないようにしてはいけない。
永田さんが話しているのだが、今回の戦争法案に関しては反対の熱は冷めていない。昨日もSEALDSが大規模な集会を開いたことが報じられていた。
そして、今朝の朝日新聞天声人語には「選挙協力」で自民党一強体制を崩そうとすることについて書いていた。これらについては後日である。
戦争の道を行くのは反対と若者たちの集会ぞ良しっ
本日のblogはこれにて終了です。
春頃のブログに書いたことがあるのだが職場の取り付け道路に赤い花がベルト状に植えられている。そして、片側には桜並木。
その桜並木が紅葉している。
もうすぐ落葉するだろうなぁ。
それにしても好天が続いている。今日で連続5日だから秋晴れの嬉しい天気だ。こんな好天で気温が高くなればいよいよカメムシ(このあたりの秋田弁ではアネッコムシ)の活動時期である。
冬越しをするためにできるだけ室内に入りたいから暖かい窓際には多くのカメムシが張り付く。
そして、少しでもすき間があれば部屋に侵入するから手に負えない。嫌いな人はヘビよりも怖いと言うから相当な強者である。
学生時代に生物の実験単位を取得するために、ある研究室で実験実習をした。多分、昆虫の関係だったと思う。その時に材料になったのがカメムシ。指導して下さった方が
「カメムシが大量に発生して対応してくれと研究室に連絡が来て・・・」
と、話ながら広口瓶に一杯に入ったカメムシを持ってきた。
ムムッと身構えたが「あの強烈なニオイ」はしない。どうしたのかなぁ事情を聞いてみたら
「臭いのを我慢して一匹一匹ピンセットで捕ってアルコールに漬けた」
とのことだった。アネコムシへの対応は難しいとの話もしていたなぁ。
ニオイがしないので全く問題が無い。小さな頭の部分をピンセットで切って染色体の観察をしたと思う。「思う」だから記憶に残っていないのだ。これが強烈な臭いの中でやったらもっと印象に残っていたと思うのだが・・・。いや、ボクの勉強への取り組みが中途半端だったのが正解かもしれない。
そんなアネコムシの縄張りに人間が入り込んでいるのだから家の中に入ってきても文句は言えないと思いボクは黙って「アネコムシ・バスター」つまりペットボトルに見つかった個体を一匹一匹入れている。
飛べ!アネコムシよ大空へ。秋も深まってきたなぁ。
ムダな「自主規制」は自分の首を絞める
今朝の魁新報に文芸話題として『言葉の封殺に危機感 安保法成立 歌人が緊急シンポ』が掲載された。そこには集団的自衛権関連法の成立を受けて歌人が「時代の危機に抵抗する短歌」で話されたシンポジウムの内容を報告している。
歌人の吉川宏志さんは「異常な状態が異常と思われなくなってきている。考えかたはいろいろでも、自分で考えることが重要だ」と呼びかけたという。
永田和宏さんは次のように危機感を述べている。
『言葉の危機的状況をめぐって、戦前の「非国民」「国賊」と同じような言葉が現在の「国益」。反対できなくさせてしまう』また、永田さんは今回が60年安保と違うのは「法案が通った後でも挫折していない。反対が一過性の熱狂ではない。いかに継続させるのか」とも分析する。
そして、黒瀬珂瀾さんは次のように指摘している。
『権力者が表現の自由を奪うよりも、民衆が自ら(表現の自由を)献上してしまう動きの方が強いのでは』それに対する試みとして「日々の小さな表現、他者の声に耳を澄ませ、殺されそうな声を拾うこと」と述べた。
最後に沢村斉美さんは、近い将来自衛隊員が犠牲になった時に国中が悲しみ戦死者をたたえるムード一色になる状況を想像して
『その時、わたしは不謹慎なことを言えるだろうか』と自問しているという。そして
『自分の中で他者の目をどう保てるのか、そこに自主規制に陥らないヒントがある』と、話したという。
結局、戦争に向かう時に国民は「自主規制」のような形で知らず知らずのうちに「協力」してゆく。そして、気づいた時には・・・・。と、なるのだ。そんな風にはならないようにしてはいけない。
永田さんが話しているのだが、今回の戦争法案に関しては反対の熱は冷めていない。昨日もSEALDSが大規模な集会を開いたことが報じられていた。
そして、今朝の朝日新聞天声人語には「選挙協力」で自民党一強体制を崩そうとすることについて書いていた。これらについては後日である。
戦争の道を行くのは反対と若者たちの集会ぞ良しっ
本日のblogはこれにて終了です。