欲しかった物「万年筆と腕時計」

晴れました
おそらく全県的に春らしく気温の上がった一日だったと思う。気温は数度℃くらいだったろう。まずは春へ少しずつ歩み出した感じであります、
高校生になったなら
2月23日の魁新報に作家の村松友視氏がコラム『高校生の通過儀礼』が掲載された。
コラムの出だしは次のようになっている。
『万年筆、革靴、それに腕時計・・・これは、私が中学生から高校生になる時の三種の神器みたいな買い物だった』
そして、村松氏は次のような三種の神器を購入したとのこと。ベージュ色の万年筆、腕時計はセイコーではなくシチズン、革靴は裏底が流行りの茶色ではなく黒。これらは普通の高校生と違う好みだったことを書いている。そしてこの斜に構えたような選び方をおばあちゃんが誉めてくれたとのこと。
ところで村松友視氏は何歳くらいかなぁと思って調べたら、静岡出身で1940年4月生まれだからもうすぐ73歳になる。ボクよりも少し年上だ。
ボクは斜に構えることは無い普通の高校生だった、はず。それでも欲しかったのが万年筆と腕時計だった。革靴は全く興味がなく履き物は下駄で十分だった。そうですボクの高校三年間は夏は下駄、冬は長靴で過ごしたのです。でも、冬場にカッコ良いヤツはラッパズボンに短い防寒靴を履いていたのが羨ましかったことも確かである。それでも長靴でしたけれど・・・。
万年筆が欲しかったのには理由がある。それは将来坂本九のようなスターになったらサインをしなければいけない。そのサインの練習には万年筆だと思ったからである。なんとまぁ・・・・。
結局、今でも安物の万年筆や雑誌「ラピタ」の付録についている万年筆などなど持っている。昔の万年筆はインクをインクビンからスポイト式で吸い込む方式で暑い日に持っているとインクが漏れて服についたりして始末に負えなかった。これを「万年筆がションベンたれた」と言ったものです。
その後、カートリッジ式になったのでションベンもたれずに結構使いやすくなった。そして、今は外国製のように小さなタイプのインクカートリッジになっているものが多いようだ。ほとんど使わない万年筆ですが安物でも付録でも持っているだけで嬉しい。もちろんサインをするチャンスは一度もありませんでした・・・。ハイ。
そして腕時計。高校生になったら絶対に欲しかった。
ボクの母校である外小友中学校は「腕時計禁止」だった。中学校の修学旅行は日光から東京に行った。その中で知っているのは日光の東照宮(雨だったと思う)と三越に買い物に行ったことだ。
で、問題が起きたのは三越。引率の先生の指示は「2時まで集合」だったと思う。ところが田舎者のボクにとって秋田市の「木内デパート」が最大で最高のデパートだった。
それが何と言うことでしょう。東京の三越です。広い広い。珍しい物が一杯ある。一人でデパートの中を歩いているうちに時間の感覚はゼロに。一人でデパート内をウロウロキョロキョロと巡っていたのである。半分、迷子になったようなものです。引率の先生方があわててボクを探したときには集合時間を大幅に過ぎていた。
しかし、それほどお叱りもなくその後の日程は無事終わったと思う。この大幅に遅れた事実だけが半世紀過ぎた今でも鮮明に記憶に残っている。だから時間を守るためにはあの輝くばかりの腕時計が欲しかったのです。セイコーを買ってもらった記憶がある。
そんなことを思い出しながらこのコラムを読ませてもらった。このコラムに関して栃木の友人からも地元の新聞に掲載されたようで「懐かしい話です」とメールがきた。
73歳くらいから50代後半までの広い範囲にわたって万年筆、革靴、腕時計は高校生にとって大切なアイテムだったことがわかる。
今の子どもたちは腕時計をしませんねぇ。万年筆を持っているのは皆無です。ただし革靴はローファーとかいう靴を猫も杓子も愛用している。ウーム時代は変わるです。
欲しい物万年筆と腕時計50年前の高校の僕
今朝の日刊スポーツ紙に「WBCキャプテン阿部落ち武者」だったかなぁ。こんな感じの見出しが躍った。侍がダメになっちゃったのね。と、思っていたら我が社のK君が言う。
「阿部もキャプテンで重圧が大変なんですよ」
「ウーム」
ジャイアンツファンは優しいところがあるなぁ。K君が言う。
「巨人ほど球界全体を考えているチームはありませんよ」
「そんたごどねーべ。自分だけ良ければいいのがジャイアンツだべ」
と、ボク。まったく男を好きになったら周りが見えなくなる女の子のようなものだ。恋は盲目ですね。
ところで阿部選手は右膝に違和感があるらしく今宵のジャイアンツとの練習試合を欠場するようだ。TBS系列中継なので残念ながら秋田ではテレビ観戦できない。阿部選手は自チームと対戦したくないから仮病を使ったのではないかとボクは推測していますが。邪推?
本日のブログはこれにて終了。