「国民のため」とは何か?
ラベンダー?
今日は何となく良い天気。雑草の中に紫の花が咲いているがラベンダーだろうか。
今日もゲン君が来て我が家の外壁の塗装作業をやってくれた。ただボーッと作業を見ているのが中々に楽しい。
おそらくゲン君は迷惑だろうがアーでもないコーでもないと話をしながらズーッと作業を見ていた。作業を見ながら、こんなにも広い平面を塗るのは気が遠くなるほど大変だなぁと思ってしまう。ところが着実に塗っているとみるみるうちに塗装された面が広がってゆく。
この作業は除雪あるいは雪おろしと似ているなぁと思った。パッと見たときには「この量をの雪をどかすのは気が遠くなるほどの時間がかるだろう」と思ってしまう。ところが作業をやり始めると仕事の「やった後」がしっかりと見えるのである。
そうだ、なるほど物事ってねばり強く着実にやることが大事だなぁと当たり前のことが実感できる。
それにしてもゲン君はボクのような現場監督がへばりついているので嫌だろうなぁ。でも、作業を見ていると飽きないのだ。ゴメンゴメン。
子どもの頃に
「ヒロオちゃんがいなくなったら熊鍛冶に行けばいるはずだよ」
と言われていたことを思い出す。
今朝の毎日新聞に驚くべきというか、さもありなんという記事が掲載された。毎日新聞の有料メール会員になっているので届いたメールを読むと次のようになっている。
『五輪ステージ3なら無観客提言できぬ専門家』
である。
今すぐ中止すべき東京五輪。
スガーリンや悪い方のコイケ都知事はCOVID-19禍でも五輪をゴリ押ししようとしている。いや、やると言っている。
それに対して「コロナウイルスの専門家たち」は感染レベルがステージ3だったら無観客でやるべきだとの提言を作成していても「提言できない」状況が続いているという。つまり、聞く耳を持たないってことなんだろう。
専門家は今のコロナ禍でも「中止とは言わない」ような最大限の忖度をしている。歯がゆい限りである。しかし、専門家集団は五輪を開催するのならせめて無観客でやるべきだと話し合っている。
ところが、この提言をスガーリンたちは受け付けないと言うのだ。ズルいヤツらだゼ。もともとズルい人間たちだとはボクは知っている。
何かがあれば「専門家の意見を聞いて・・・」と丸投げして逃げを打っていた。しかし、いざとなれば「オレは知りませんよ。好き勝手やりますよ」と言うようなヤツらだ。スガーリンなどは「オミ会長、余計なことを喋るな」と言う始末らしい。
しかも、ここまで「五輪をやるでもない中止するでもない」とコロナ禍を広げながらずるずると引っぱってきて「もはや引き返せない」などと言い始めてるようだ。ただのバカやローどもだ。
当然、五輪はやめるべきだ。どこかのテレビ番組だったが、このまま五輪を開催すればGO TOの二の舞になるだろうと予想していた。それは間違いがないはず。
通勤路のあちこちの自民党の事務所にはスガーリンの写真に『国民のために働く』などと書いたポスターが貼られている。チャンチャラおかしいといつも考えている。国民の命や暮らしをまったく考えていないことは明白。「国民のため」って何かと問いたい。
宇都宮健児さんの五輪反対署名は40万筆を超えてネット署名では過去最高になっているとか。あきらめずに反対し続けることだと思っている。
アマチュア無線はまったく聞く時間がなかったので割愛。
本日はこれにて
インタビュー拒否する大坂なおみさん我が儘じゃない僕は支持する