笠間の陶炎祭(ひまつり)


震災復興の陶芸品祭り

 茨城にて。昨夜泊まった龍ヶ崎の部屋でテレビを見ていたら「笠間の陶炎祭(ひまつり)」を全国中継している。

 笠間は焼き物の窯元があることで有名な場所だ。東日本大震災の時に百年以上も前から続いてきた登り窯などが大きな被害を受けたという。ある窯元などは明治時代の大地震でも壊れなかった登り窯が壊滅的な被害を受けたとも報じられていた。

 そんな中でガッカリもしていられないと言うことで皆で元気を出すためにお祭りを開催した。昨日のスタートには五万人が訪れたという。東北道の帰り道で少し寄り道をすれば様子はわかると思い常磐道友部ジャンクションからチョイと曲がった。

 会場になっている笠間芸術の森近くに行ったら混んでいること混んでいること。交通整理もほとんどない状態だから路上駐車もバンバンとある。もちろんボクも路上駐車で公園内に入ってゆく。

 会場はテントの中に200店近くの陶芸展が瀬戸物を展示している。ブラブラと見てみたが素朴な陶器の焼き物が多いなぁと感じる。もちろんボクは焼き物については全くわかりませんのであくまでも率直な感想。

 公園の中では陶器を購入するとか鑑賞するなどというよりも多くの家族連れがキャンプ気分で楽しんでいる。これはこれでいいんだろうなぁ。と、思う。もっとも犬を連れている人たちが多いなぁ。犬は嫌いじゃありませんが正直どうも弱いのです。

 そんな出店の前で一枚撮影してきた。写っている人たちはまったく知らない人たちです。



明日は早朝に秋田に帰る。天気が心配である。と、言うわけで本日のブログも旅先にて生存証明で終了です。

三春の滝桜


塩竈を出発して東北道→常磐道→常磐道と経由して茨城の龍ヶ崎に来ています。
途中、原発で苦しんでいると言われる三春の滝桜を見学。葉桜になりつつあるのだが滝桜を前にして一枚だ。
観光客は結構いるのだが大型バスで乗り込むほどの人数は多くなかった。やはり外国人観光客はゼロだったのが「そうかなぁ」と思う現象かもしれない。

東北道の下りは混んでいた。ところどころで渋滞ができていたので北に帰る人たちと、ちょいと観光客が増えたのではないかと思いながらボクは逆コースを南下。
だいぶ路面は改善されているがやはりデコボコ道路なので氣を使いながらの運転になる。

今宵は龍ヶ崎にてビールを一杯。これにて本日は生存証明でブログの終了です。

少しの旅へ


春の小川

 まだ、校舎脇には雪が積もっている。それでも春のやわらかな日差しもある。外を見ると田んぼの小川は少しずつ水が温み始めている様子が見えた。そんなイメージを1枚。


Gの悲劇

 一瞬、アレッこんな場面を見てもいいの(°◇°)~ガーン。と、思う映像が流れた。2011年4月26日。ヤクルト対読売のゲーム。ヤクルト石川、読売東野の投げ合い。読売は坂本の先頭打者ホームランなどでいい流れの試合だった。しかし、ヤクルトも4回に田中の右翼線二塁打で追いつく。この時の打球処理で高橋由伸が左脇腹を痛めて退場。その試合では長野とかいう選手も腰に張りを訴えて交代したらしい。その選手交代後には試合の流れがヤクルトに。とうとうヤクルトは6回に逆転をした。
 さて、アッとおどろく問題の場面は7回。読売の東野が四球を出して中前安打され無死一・二塁にされた。その後、投ゴと捕邪で二死にこぎつけた。ところがその後連打されて失点。
 この崩れた場面で、なんということでしょう東野はマウンド上の土をバーンと蹴り飛ばしたのである。彼は読売のエースと呼ばれているらしい。こんなていたらくを見せて、しかも自分の最悪の精神状態を見せる失態を演じたとボクは見た。
 このことについては、どこの新聞も書いていない。しかし、今のGの状態は東野のマウンド蹴り飛ばし事件に集約されていると思う。

 昨夜の雨中の対戦でもヤクルトの由規に苦労していた。良い選手ばかりを使っているGの悲劇かもしれない。と、言うよりも東野のマウンドでの態度を制御できない限りGの悲劇は続くと思っている。
 まぁ、それはそれでいいんですけれど。


ちょっと旅に出ます

 今年は二十数年ぶりに運動部を離れた。職場の上層部はボクの年齢を配慮してくれたものと感謝している。
 これまでは土・日やゴールデンウィークはほとんどなかったとも言える年月を過ごしてきた。
 それが嬉しいじゃありませんか。今年度は休日は普通の休日になった。そんなわけでミニミニ旅行に出かけます。茨城に住んでいるバカ息子の慰問に行くのですけれど・・・。
 大地震でテレビが倒れて液晶画面が半分映らなくなった。部屋に置いた物体が落ちて散乱している。などなど、ようやく連絡がついた時に知らされた。さすがに、その状態が続いているとは思わないが激励するくらいはしてもいいと思い旅行がてら出かけます。

 ルートは福島原発の横を通ってゆく。東北道から磐越道を通り常磐道に入るルート。ついでに有名な「三春の桜」を見てみようかなぁと思っている。満開はとうに過ぎて花は散っているだろう。しかし「今だからこそ行って見る価値」はあると思っている。
 物見遊山ととられてもいい。でも、風評の地に暮らす人たちに会う旅も意義がある。

 今宵は塩竃経由でスタートです。

   春の日に旅立つ人にあこがれて敢えて向かおう風評の地へ


ブログも77777のカウンターも何時の間にか過ぎていた。読んでくださっている方に感謝である。
そんなわけで本日は塩竈の地にてブログ終了。軽くビールを飲んで明朝は茨城に向かいます。

おかしいこと


桜一輪

 夕方、通勤道路の帰り道で不思議なことがあった。毎日少し遠回りしているので大森町のトンネルを一つ通る必要がある。長さは300メートルくらいだろうか。車で15秒程度の距離だ。トンネルに入る前はフロントガラスからの視界はまともだった。
 ところがトンネルを出た途端、真っ白な霧に周囲は覆われていた。そのため一瞬で視界が0になった。
 車を運転する時には「こんな危険があるかもしれない」とある程度予測をしながらハンドルを握っている。
 ところが突然霧の真っ白なベールに包まれたのである。何も見えない。あせってブレーキを踏んで速度を落とした。そして、ソロソロと車を走らせた。
 残雪と気温と無風状態が絶妙にからみ合った現象だったと思う。不思議なことがあるものだねぇ危ない危ない。

 校舎の窓から見える桜の木に一つだけ桜が咲いていた。寒いです。しかし花は咲き始めたらドンドン開く。


原発やめようよ

 天野祐吉さんという人がいる。朝日新聞の『CM天気図』というコラムを連載している人だ。雑誌『広告批評』の編集長でもあるらしい。

 2011.4.27付に『原発のない暮らし』というコラムを書いている。その内容を簡単に書けば次の通り。

『風力発電をすれば原発40基に相当する電力が得られる。つまり、日本の原発54基の70パーセントの電力が風力で得られるというのだ。この話は環境省がちゃんと計算して発表した数値とのこと』

 天野さんはこの事実をあげて「どうしてなんだろう。わかんないなぁ」と頭をかしげている。
 それだけ原発を減らせるデータがあったのなら、どうして今まで実行してこなかったんだろう。減らせたはずなのに・・・。

天野さんは言う。

『とにかく、原発をやめようよ。一気にはムリでも、5年か10年の間には全廃だ。こんど国政選挙をするときには、それを最大の焦点にしなくっちゃ。
で、その結果、電力がこれまでの7割くらいしか作れないというのなら、いいじゃないか、それで暮らせる身の丈サイズの経済や生活の仕組みにすれば。
別に耐乏生活をしようっていうんじゃない。もっと知恵のある生活をしようってことだ。知恵さえ集めれば、いまの7割の電力で、いまより7倍明るい生活だってできる(かな)』

 そして、天野さんの専門であるCMについて考察をする。いいなぁ。このゆったりとした考え方が。

 これ以降はボクの考え。確かに風力発電は効率が悪い。景観を悪くしたり低周波が発生したり鳥がぶつかったりする環境問題もある。
 だから吹き抜ける風によって理屈通りに電力は得られないかもしれない。それでもすべて原発に頼らなくても良いのではないか。天野さんの言うとおりに稼働中の原発は近いうちに廃棄してゆくのが安心した暮らしができる。

 そう言えば昨日のニュースで、統一地方選挙で脱原発を訴える保坂展人氏が東京23区最大の人口を抱える世田谷の区長に当選し就任することを報じた。
 テレビ局も二極対立を煽る構図で視聴率をとりたい。予想通り保坂氏の当選の弁のあとに重ねるように石原慎太郎都知事のコメントを放送。
「原発がなくて日本の経済活動を推進できるはずかない」と保坂展人の当選の言葉に噛みついていた。
 はっきり言う。石原慎太郎の考えは絶対に変だ。ボクは腹立ち紛れで書いておく。
 石原慎太郎は「東京は日本のダイナモである」と都知事に当選した時にもはっきりと話した。東京がダイナモならば「本気で」東京にダイナモである原子力発電所を建設すればいい。作れるわけがないだろう。まったく・・・。
 原発の推進には「何か」があるとしか思えない。だから「わからない
し、おかしい」のです。
 やはり、これからは「原発はやめようよ」がキーワードになる。



雨が降ったりやんだりの一日。本日のブログはこれにて終了です。

  水曜日短歌欄読みワクワクとつぶやきにわく希望と勇気

高校野球地区大会組合せ


ハクチョウ消える

 クワックワックワッ。朝、出勤しようと一歩外に出たら鋭い声が頭上から聞こえてくる。上空高い位置を数十羽のハクチョウが鳴き交わしながらV字形になって北に向かって飛んでゆく。豆粒ほどの大きさだ。少し季節的に遅れているようだが北に帰るのだろう。
 夕方にいつもハクチョウが群れている田んぼを見たら一羽もハクチョウはいなかった。冬が消えてゆく。

   上空をハクチョウV字に飛び去りてクワックワックワッと冬は消えゆく


組み合わせ

 昨日、高校野球各地区大会の組み合わせが決定した。
 今日の魁新報によるとこの大会からシステムが少し(大きく?)変わったと報じている。

 まず、春季大会に敗者復活戦がなくなった。秋の新人線に導入された敗者復活戦が春にも実施されるようになってから7~8年経過するはずだ。
 秋の新人線はセンバツ大会につながるのでできるだけ多くのチームが出場できる機会をもてるような配慮から敗者復活戦を実施することになった。別の見方をすれば敗者復活戦はいわゆる強いと呼ばれるチームが何かのはずみで負けた時の救済措置とも言えるのだが・・・。まぁ、いろいろな考え方があります。
 しかし、春の大会は例え東北大会で優勝しても甲子園に直結することはない。むしろ、東北大会で疲れてしまい、本番である夏の秋田県大会で負けるチームもあった。
 この大会から敗者復活戦を実施しないのは一つの決断として良い方向かもしれない。

 そして、もう一点は各地区からの全県大会への出場校数が違ったことだ。これまで県南、中央、県北それぞれ同数6チーム計18チームが出場していた。
 それを各地区で出場するチームの数に合わせ県北5チーム、中央と県南それぞれ7チームずつにした。そのために全県出場が19チームになり従来よりも1チーム増加した。県北地区は学校の統合でこの大会から13チームの出場だ。県南地区は18チーム。中央地区は19チーム。ある意味妥当な判断だろうなぁ。

 もっともボクは以前から春も秋も全県一斉に抽選をして大会をやれば良いのではと考えていた。だが、将来的にも全県一斉に春秋の大会をすることの実現はないだろうなぁ。それぞれの思惑もあるだろうし・・・。

 いずれにしても震災後の甲子園に向けて一歩ずつ高校野球が動き出すことになる。球児たちの健闘を祈ろう。

 高校野球と言えば昨日からNHKでスタートしたアニメ『もし、ドラ』の展開が少し気になるのではある・・・・。まぁ、アニメですからどうでしょうねぇ。



今日は自分で写真を撮ることがなかった。ハクチョウの群れにカメラを向けたがピントが合わない。アレッと思っているうちにハクチョウたちは飛び去ってしまった。そんなわけで本日はメールで「ジジが買ってあげたオモチャを前にご機嫌の様子」と送られてきた孫娘のとわの近影である。これじゃあ、また別のオモチャでも何でも買ってあげたくなりますです。これにて本日のブログは終了です。

歴史の意味すること


水辺の緑

 午後から低気圧が通過し時折横なぐりの雨が降る荒れ模様の一日になった。朝方は少し霧がかかっていたが晴れ上がっていた。雄物川の岸辺に生えている木にはうっすらと緑色がつきはじめた。
 そして、遠くには鳥海山が見えた。岸辺にはアオサギが餌を探してジッと立っていた。

   水辺から緑はじょじょに広がりて覆い尽くせよ震災の地を


浪分(なみわけ)神社

 「今度津波がきたら私の会社の場所まで津波は襲ってくるよ」と、姪が言う。先日、仙台港から荒浜にかけて震災の爪痕を見た時の会話だ。姪の会社は今回の大震災で東部道路によって運良く大きな被害を受けなくて済んだ。しかし次の大地震があれば津波の可能性があると話しているのだ。

 ボクは「もうあれだけの大地震は、しばらく来ねーべ」と姪に言った。すると「そんな考え方が今回の被害の一端になった」と言われて、その通りだなぁと納得した。

 この姪の考え方はとても大切なことだと思う。東京電力や日本政府のように大地震の可能性を指摘されていながら「安全です」と言ってきたことと根は同じ考えだからだ。「もう、あり得ない」「想定外」「万が一はない」などと考えていてはダメなのだ。「必ず起きることだ」と想定すべきなのだ。

 昨日(2011.4.24付)の朝日新聞の特集記事に『道路・鉄道に堤防機能を』と宮城県知事が提案したことが報じられている。関連記事として『津波止めた仙台東部道路 道路の両側明暗 唯一の高台230人救う』と大きくとりあげている。

 姪の勤務する会社は明暗を分けた東部道路の「明」側に位置している。だが彼女に言わせると会社の近くに「浪分(なみわけ)神社」があって1000年前に津波はそこまで来ていることを示していると教えてくれた。だから、津波は襲ってくる可能性があると言うのである。

 このことは朝日新聞の記事にも次のように紹介されている。
 今から16年前、仙台に住む飯沼勇義さんが『仙台平野の歴史津波 宝文堂刊』を出版。
 この著書で飯沼さんは1000年前にあったと言い伝えられている貞観地震について分析し「巨大津波が平野を襲う」と警告した。そして高台のない沿岸部に鉄筋コンクリート三階建て以上の建物をつくるよう呼びかけていたという。さらに津波が二手に分かれたという伝承が残る「浪分神社」が紹介されている。
 
 3.11震災後のインタビューで飯沼さんは次のように話している。「歴史的に見れば仙台平野は津波の常襲地帯。津波と言えばリアス式海岸という思い込みが行政の対策を遅らせた。」

 この『仙台平野の歴史津波』は絶版になっている。しかも出版社の宝文堂は何年か前に倒産して今はないらしい。ボクの記憶が正しければ仙台の本屋の老舗だったと思う。
 古本としてアマゾンで4500円程度で販売しているとの情報を見た。だが、すでに売り切れて在庫無しだった。入手できる可能性は限りなく0に近い。

 『「絶版・品切れ」で手に入らなくなった本を皆様からの投票で復刊させよう!』というアピールで復刊リクエストができる復刊ドットコムというWebがある。そこを覗いたら『仙台平野の歴史津波』について8人かのリクエストがあった。ボクも9人目として復刊リクエストを出した。こんな人数では無理かもしれないけれど復刊されてくれたらいいなぁ。

 ネットを検索すると数年前に仙台平野の津波について研究した内容のPDF文書があった。http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/06_08_03.pdf
 「いまさら」何をやっても考えても間に合わないかもしれない。しかし、対策は絶対に必要だ。今回のような大震災はこれから一生に一度もないかもしれない。何代にわたっても遭遇しないかもしれない。しかし「備えあれば憂いなし」である。当たり前のことだが教訓としなければいけない。



気仙沼に赴任していた若者から転勤しましたハガキが届いた。4月から大館に赴任したとのことだった。これで秋田県から流出していた人材が一人帰ったことになる。それにしても気仙沼の大震災は大変なことだったと思う。無事で良かった。これから秋田でがんばってもらいたい。本日のブログはこれにて終了です。

リーグ戦の結果

魁新報(2011.4.25付より)

能代地区
 能 代 14- 0 能代西
 能代工  5- 4 能代商
男鹿・潟上・南秋田地区
 男鹿工  7- 0 五城目
 秋田西  3- 1 男鹿海洋
秋田市地区
 秋田南 12- 2 明 桜(7コ)
 秋 田  3- 2 秋田工
 秋田商  7- 0 秋田高専(7コ)
 金足農 12- 3 新 屋
由利・本荘・にかほ地区
 本 荘  3- 0 由 利
 西 目 11- 1 由利工
 仁賀保  9- 2 矢 島(7コ)
県南地区
 横手城南 4- 3 羽 後
 横 手 10- 4 大農太田
 角 館 19- 3 増 田(5コ)
 湯 沢 13- 2 六 郷(6コ)
 雄物川  6- 6 大曲農

 それぞれのチーム状態に合わせて小手調べ的?な各地区リーグ戦は終了。本番の各地区大会の抽選会がおこなわれる。

湯ノ又の良さを満喫


祭りの後の懇親会

 地域のメンバーと飲むのもいいなぁ。
 昨日、湯ノ又子安観音の祭りの夜に集まり懇親会。ワイワイガヤガヤと楽しく日々のことを話し合う。酒はタップリと。そして、つまみは焼き肉と寿司である。豪華版だ。

 飲んだなぁ。ビールから始まり日本酒そして〆にビール。結局、昨夜は何時頃に帰ったかはっきりとわかっていない。おそらく午後9時頃だったとは思うが・・・。今日は二日酔い気味で結構つらかった。

  村祭り父母の代から受け継がれ酒と語りとそして笑顔と


ボランティア活動

 朝6時。二日酔いの頭をかかえて布団を抜け出した。湯ノ又地区と言うよりも南外村全体の奉仕活動の朝だ。道路脇の清掃作業のボランティアをすることになっている。

 雨があがった合間を縫って缶拾いとゴミ拾いをする。道路脇は雪が消えたばかりだ。ボクの歩いたエリアは捨ててある空き缶は2個。吸い殻などのゴミが少々。
 周囲に自動販売機はない。だから空き缶2個捨てられていると言うことはマナーの悪さを示しているのかもしれない。バカヤローがいるってことだ。

 今朝、集合場所の八幡神社に来てもらった人たちを撮影。神社の前にはまだまだ寄せ集められた積雪がある。


高校野球リーグ戦の結果(魁新報2011.4.24付より)

能代地区
 能 代 12- 1 能代工(7コ)
 能代商  4- 0 二ツ井
男鹿・潟上・南秋田地区
 男鹿海洋 6- 1 五城目
 秋田西  7- 1 男鹿工
秋田市地区
 秋田南  7- 3 秋 田
 秋田商 11- 0 秋田工(5コ)
 金足農 24ー 0 秋田高専(5コ)
 秋田中央 8- 3 新 屋
由利本荘・にかほ地区
 仁賀保  5- 0 由利工
 由 利  8- 1 矢 島(7コ)
 本 荘 10- 0 西 目(5コ)
県南地区
 角 館  5ー 3 横手清陵
 大曲工  7- 0 増 田(7コ)
 雄物川  3- 1 湯 沢
 大曲農 15- 3 六 郷(8コ)
 平 成  7- 5 湯沢翔北
 大 曲  8- 1 西仙北(8コ)
 羽 後 13- 2 横 手(5コ)

軟式高校野球リーグ戦
 能 代  1- 0 秋田商
 秋田工  3- 1 秋 田
 本 荘  7- 0 能代工(8コ)

軟式高校野球もリーグ戦が始まった。いよいよ本格的な高校野球シーズンになる。硬式野球の各地区大会組合せは来週中に決定する。



昨日と今日は孫娘のとわと会えた。写真を撮らなかったのでブログに掲載できないのが残念。でも、久しぶりに見ると成長しているなぁ。とても頼もしく感じた。本日のブログはこれにて終了です。

湯ノ又子安観音


子安観音

 間口二間半奥行き二間。社の大きさである。この社の名前は子安観音。ボクらは子どもの頃から「カンノ様」と呼んでいた。

 我が南外村湯ノ又地区(台林地区とも言う)には八幡神社と子安観音の神社が二つある。春は子安観音、秋は八幡神社のささやかなお祭りがある。
 今日は「カンノ様」のお祭り。と、言っても大がかりなものではない。早朝、周囲を掃除し神主さんから来ていただき祝詞を詠んでもらう。朝日が差し込んで何となく神々しいですねぇ。

 太鼓の音が「デデシコ・デデシコ」と響くと心が華やぐ。春が来たなぁと思うのだ。見晴らす田んぼの向こうからはキジのケンケーンという声、ノスリのピューピューという甲高い声が時折聞こえる。
 地域から集まった人たちは社の付近を片付け、集めた多量の杉の落ち葉などは盛大な焚き火で燃やす。

 祝詞を聞きながらヒョイと見上げたら「カンノ様」の整備をするために寄付金を集めた額が飾られていた。この字体を見てボクの父が依頼されて書いたと気づいた。昭和51年に奉納されたと書いてある。35年前かぁ。と、少し昔を振り返った。

 座っている前のゴザを見たら小さな甲虫がチョコチョコと歩いている。約7个曚匹梁腓さ。ジッと目をこらすと頭部のオレンジ色がオシャレである。雪が消えて初めて見る虫らしい虫。もっとも家の中では、家の中に避難して冬越ししたカメムシ(姉ッコムシとも言う)を見ている。だが、アイツはちょっと苦手です。だから虫らしい虫を見たのは観音様の社で見たと言うことにしておこう。
 名前がわからないので『むし探検広場http://insects.exblog.jp/』の園長さんに質問することにします。この『むし探検広場』のブログはとても楽しく参考になるのです。

 ここまでが朝の行事。

 夕方に再度集合して大酒飲み大会になる。3年前に大酒飲み大会の帰り道でボクは手首を骨折するという武勇伝を演じた。
 「カンノ様」は小高い崖の上に建っている。酔っ払って帰り道にオシッコ(こんなに可愛くはない、ただのションベン)をしようとして崖の下に向かって放水をした。そこまではよくある当たり前の酔っぱらいの行動。
 ところが飲み過ぎていたボクはバランスを崩して崖の斜面を転がり落ちたらしい。記憶がぶっ飛んでいる。
 大酒飲み大会に参加していた若い衆たちはボクを救助するために大騒動。それこそお祭り騒ぎになった。まったく・・・。
 そのまま酔いつぶれて次の日。妙に手首付近が痛いのである。その後の顛末については2008年5月2日のブログに書いてます。

 そんなことのないように本日はおとなしくノンビリと飲みます。これから出かけますので早めのブログアップ。少し「ホジ」を落としても崖から落ちないようにせねば。

鉄道の復旧


真剣な姿

 素晴らしいなぁ。と、思う瞬間がある。それは若者たちが懸命に自分を表現しようとしている時だ。
 高校は新入生が入学すると応援練習がある。応援委員たちは一生懸命に声を張り上げて全部の生徒たちに範を示すのだ。
 精一杯に取り組んでいる姿が潔く純真で良い。それに呼応して全学年が大きな声で応援練習に取り組む真剣な姿に感動している。

   応援のバンカラ声に青春と辛さと若さそしてプライド


色のない風景

 雪消えがドンドン進んでいる。しかし、写真で見るように窓の下にはまだまだ積み上げられた雪が残っている。
 ようやく温かさも戻ってきた。しかし、まだまだ色のない世界。大地の緑もまだ見えない。だから建物のエンジ色に少しホッとさせられる。


在来線続々開通

 子どもの大好きなオモチャに鉄道模型がある。ほとんどの子どもたちは「ガダンゴドン」と言いながら電車や汽車の模型を見たり走らせたりすることで成長しているはずだ。

 鉄道は人の交流や大量の物流を促してきた。3.11大震災で大動脈とも言える上野から盛岡までの東北線が不通になった。東北新幹線も打撃を受けて1ヶ月ほど運休していた。新幹線が動かなかったよりも在来線の不通が人々に大きな影響を与えたとボクは思う。

 新幹線は拠点の都市しか通過しない。さらに言えば「人」しか運んでくれない旅客に特化している。毎日、乗車する人はほとんどいないだろう。
 だが、在来線ならば毎日毎日乗車している人が多い。さらに沿線の住民にとっては「足」として大切な存在になっている。

 もちろん物流の担い手としての役割も大きい。今回の震災で活躍したのは日本海側をまわり、青森経由で盛岡までたどり着く、在来線の鉄道を利用した燃料や支援物資の輸送だった。それだけ在来線の役割は大きい。

 昨日、東北線が全線開通したことによって多くの人たちは勇気や希望を持ったことだろう。
 塩竃から栗駒市まで電車で通っている塩竃のお父さんから2~3日前に次のようなメールが入った。

『明日から電車通勤ができます。これで通常の生活が待っています』

このメールの前に半分冗談で話していた。「電車が動かないので会社にも思うように通勤できない。会社に自分の席があるかどうか・・・」

 これで無事に会社に通勤できることになった。良かった。良かった。

 昨日のラジオニュースでは壊滅的な被害を受けている仙石線にも自衛隊と米軍が開通をめざして片付けに入ったと報じていた。当面10日間取り組むという。
 ボクも仙石線で被害を受けた線路を実際に見た。ハンパではない壊れ方をしていることは事実だ。しかし、新幹線を直すくらいの馬力がJRにある。だから仙石線を早く復旧するパワーはまだまだ持っているはず。

 3.11震災の何日後かに三陸鉄道リアス線は短い区間だが無料で運転を再開させた。線路の上を電車(もしかすればジーゼル車かもしれない)がガタン・ゴトンと動く姿は沿線の住民をどれだけ勇気づけたか計り知れない。仙台から海岸沿いに石巻めざして走る仙石線の復活する姿を早く見たいものだ。復活したらぜひとも仙石線に乗りたいとも考えている。

 福島原発の沈静化とともに鉄道の復旧を心から願っている。ただし、原発はこれにて終了にすべきだが鉄道は間違っても廃止にならないことを含めてである。



ブログのカウンターを先ほど確認したら「77247」になっている。まもなく「7」が並ぶ日が来そうである。もっとも今は「7」の数字はあまり良い数字ではない。何しろ福島原発の危険度がレベル7だからだ。でも、まぁここでは「77777」となったら喜びたいと思っている。もしもその番号にあたった人はコメント欄にでも遠慮せずに一言書いて下さい。掘り出し物市で見つけた楢岡焼をプレゼントします。
と、言うわけで激動の1週間はこれにて終了。明日はボクの住む地域の小さな祭りの幹事役。どうなりますか・・・。これにて本日のブログは閉店です。
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