大晦日になりました


今年も終わります

 誰もが言いますが1年はアッと言う間に過ぎてしまいました。

 今年は二月に母が91歳で亡くなったことがまずあげられる。母の看病に長い間つきあってくれた妹たち家族の苦労には感謝しきれない。

 五月には金環日食。これを我が家の皆で見られたことがありがたかった。天気が悪い予想であきらめかけたが見事に見えた。五月には長い間茨城に赴任していた長男が帰郷したことも自分にとってはありがたいことだった。

 八月には初の海外旅行でエジプトへ。エジプトではJICAのリエちゃんをはじめとして若き案内人の皆に会えたことが嬉しい。一期一会なのかもしれない。

 十二月には孫達の一家が独立したことも大きな出来事だろう。改めて素敵な家庭を築いてくれと願うばかりである。

 と、自分のことはザーッと考えてみるとこんな感じである。大学のクラス会も楽しかったなぁ。帰りに盛岡に中尾君と恩師の吉田先生にお会い出来たのも嬉しいことでした。
 まだまだ多くの出逢いがあった。何よりも健康に生きてこられたことがありがたい。そして、まだ酒ッこが呑めることが・・・。

 日本のことを考えるとけっして良い方向になっていないことは残念である。具体的に言えば震災復興、原発再稼働、TPP、消費税、教育問題などなど。常に耳目をそばだてていなければと思っている。

 まずは多くの皆様に感謝しながら今年最後のブログを終わります。また、明日からは新たな気持ちでブログを書きます。

 昨日、秋田工業高校ラグビー初戦勝利。明日からの活躍を祈りたい。

年末年始寒波の予報が出されている。あまり荒れなければいいのだが・・・・。これにて本年最後のブログを終わります。
そうそう、今年最後のとわちゃん登場でしめくくります。

   「一年」はなんと素速く駈けぬけるそれが生きてる証拠なのかも 

我が家のとわちゃん別居です


酒で気持ちをまぎらわませて

 さて、何から書いたらいいんだろうか。孫バージョンがあれば成長をとりあえず書けたのに・・・。
 孫たちは今宵からいなくなっちゃったし・・・。1年3ヶ月を一緒に暮らしたとわちゃんと半年一緒に暮らしたわかちゃんがいないの本当に寂しい。
 孫はペットじゃネー!と叱られそうだが可愛がっていたネコや犬が死んだ時にペットロス症候群という症状になる人がいるらしい。もしかしたら今の自分はこんな状況じゃないのかなぁと一瞬思ったりしている。
 もっとも、これが当たり前のことだから日にちが経てば慣れるんでしょう。しかも何百劼睥イ譴疹貊蠅砲い襪錣韻任發覆ぁ8業の事故で強制的に非難されているわけでもない。その人たちと比べたら問題は何も無い。会いたければ車でちょっと走れば良いだけなのだから。
 と、言うわけで本日の写真は我が家で過ごすのが最後のとわちゃんと一緒に小雨の中で1枚。なんと女々しいジジバカなことか・・・。

 こんな気持ちを酒で紛らわせながら書いています。

   「取り戻す」強い言葉は魅力的何を「戻す」か不明なのです!



年末になってきた。政権が変わって株価が上がったとか円安になったとかで喧しい。でも、このままゆくんだろうか?また、原発は推進することに間違いなく舵を切ったように見える。そして憲法改正から国防軍。教育で言えば学力試験を全生徒を対象にすることに戻るらしい。
「日本を取りもどす」と言っているのだが正直に言います。「何を取りもどすのか」わかりません。
ただ感じるのは、安倍政権の考え方が継続されたら、とわやわか達が成人になった時にけっして良い日本になっていないってことです。

と、まぁ年末にこんなことを考えているとちょっと元気が出てきます。
それでは孫バージョンのないブログのスタートです。

別れの夜に


青空

 今日はとても良い天気だった。抜けるような青空とはこのことかもしれない。しかし、気温は低い低い正午頃に車載の温度計を見たらマイナス5℃だった。そのために大曲市内小友付近では日中に濃い霧が発生していた。

 写真は南外村の出羽鶴酒造の酒蔵である。「酒なばやっぱり出羽鶴だ」です。


旧友再開

 昨夜は飲み過ぎ。久しぶりに会った若き旧友たちと焼き肉で一杯。それがどんどん積み重なって何倍も飲むハメに・・・。

 野球の話。登校拒否の話。車の話。旧職場の話などなど時間はアッと言う間に経過していた。もちろんその間に飲む量もどんどん増えていった。

 でも、面白かったなぁ。また来年どこかで会いたいものだ。



我が家のとわちゃん。昨夜、焼き肉屋で食事を一緒にとった。酔っ払いは置いてとわちゃんたちは早めに帰った。
その時に大事件発生。彼女の腕を取った時に何かの拍子に左肘が脱臼したようだ。痛い痛いと訴えるので救急病院にかけ込んだとのこと。するとドクターはヒョイッと肘をつかんで脱臼を治してくれて事なきを得た。しかし大事件であることは間違いない。小さな子どもには何が起きてもおかしくないことをあらためて確認した。
我が家のとわちゃん・わかちゃん。最終回になります。明日から別々で暮らすことになります。時々、逢える時に登場するかもしれませんがいろいろとご愛読感謝します。
これにてブログは終了です。

  孫家族独立になり別居する核家族とはジジに酷なり

ただ楽しく


生存証明ブログです、
つまり酔っ払っています。
楽しい焼き肉を・・・

本日はこれにて・・・・・・・

春風亭柳昇師の短歌


今朝は降りました

 午前5時半。我が家の早出出勤の男がゴソゴソと起き出した。昨夜から冷え込んでいて嫌な予感がしていたのでボクも起き出して外を見たら何と言うことでしょう。30儖幣綫僂發辰討い襦
 これじゃあ村の除雪隊もいつもより遅いだろうと思っていたら案の定遅かった。それまで我が家の前は除雪して朝の準備は終わった。


自由な感覚がいいなぁ

 今は亡き春風亭柳昇師匠の多芸さは有名である。兵役について機関銃をぶっ放していた話は弟子の春風亭昇太も話しているし本人の落語のマクラにも出てくる。

「近頃、機関銃を撃ってませんから血に飢えてますから(爆笑)」

みたいな感じで・・・。もっとも機関銃の操作は芸ではありませんねぇ。トロンボーンが大好きで高座で吹いていたこともあるという。テレビでも何度か見たことがある。これは芸であります。

 たまたま古本を見ていたら『漫画と滑稽短歌 今日は誰かの誕生日』という本が目にとまった。平成8年に春風亭柳昇師匠が出した本である。そのマクラと言いますか巻頭言に次のように書いている。

『俵万智さんの「サラダ記念日」という短歌集が大ベストセラーになった。私も早速読んでみたが、驚いた。
 嫁さんになれよだなんて缶酎ハイ一杯で言ってしまっていいの
 不勉強な私はそれまでこんな歌を読んだことがなかった。そして、こう思ったのである。俳句と同じ五七五で、人情や滑稽をテーマにした川柳という立派な文芸がある。だったら格調の高い歌がある一方で、滑稽をテーマにした短歌があってもいいのではないか。落語家だから、思わずクスッと笑うような川柳風の短歌が。そうだ、私もつくろう。俵万智サンのうに今まで誰もつくらなかった楽しい短歌、面白い短歌、新しい短歌を。こうして生まれたのがいわば柳昇式短歌(狂歌)であった』

挿絵は漫画家の秋竜山。そして、この本には柳昇師匠のサインと押印も入っている。誰かが買ったのか貰ったものを古本に出したのかもしれない。と、推理はこれくらいにして・・・。読んでいたら次の一首にピタリと目が吸い寄せられた。

   私の嫌いなものは頼朝と巨人負かしたその日のチーム

柳昇師匠は頼朝の強引さや嫉妬深さが嫌いだったようだ。そして巨人は大の大ファン。もし、存命だったら今の巨人の強引さに呆れかえったのかもしれないとボクは思っている。そして、柳昇師匠は次のような歌を作ったかもしれない。

   私の嫌いなものはジャイアンツ勝った次の日のスポーツ新聞

まぁ、こんな感じだろうなぁ。でも、小難しいことを言わない自由なとつとつとした噺が柳昇師匠の魅力なんだろうなぁ。この不思議な歌集?師匠の落語と似ています。巻頭言には『風もないのに世の中まわる』というのが最初の短歌(狂歌)集だったとある。ネットでチェックしたら古本で39円也の出品があったので送料250円は高いが早速ポチッたのである。

   日本語のリズム楽しく柳昇師若い笑顔の短歌の世界



我が家の若ちゃん。座椅子に座って人の顔を見るのが普通になった。車のチャイルドシートも寝ている形から縦型になり扱いが楽になったようである。プクプクと健康そのものである。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。

『放射能対策は松戸に学べ』


真冬日

 大荒れである。今日は真冬日。終日吹雪いていた。ニュースをラジオで聞くと秋田道も東北道も事故や吹雪で断続的に通行止めになっていたりJRも飛行機も交通網は大混乱だったようだ。
 瞬間的に地吹雪が車の視界をゼロにする。気をつけなければいけないなぁ。

   地吹雪で一瞬視界ゼロになり上下左右の感覚何処


それでも原発なのか・・・

 栃木の友人からメールがきた。
 添付されている新聞記事(下野新聞 2012年12月23日付)の切り抜きに興味深いことが書かれていた。NPO那須希望の砦理事長、日本大学教授藤村靖之さんという方が書かれたコラム『放射能対策は松戸に学べ』である。

 そこには次のように書かれている。

『福島第一原発事故で栃木県北部がかなりの放射線に見舞われた。チェルノブイリ原発事故と比較しても到底安心できる放射線量ではない。例えばベラルーシの首都ミンスクではチェルノブイリ事故から5~10年後に先天性の障害児が激増した。放射線量は栃木県の県北部に比べて半分以下だった。
 福島の事故で子供たちを放射能から守るための活動に述べ1000人を超す地元の人たちと取り組んできた。その中で子供たちの被曝状況は個人宅の室内被曝が80%であることがわかった。自宅の室内で被曝しているのである。放射線は屋根や壁を貫いてくるものがほとんどであることも明らかになった。
 これは個人宅の周囲の地面と屋根の上を除染しなければ子供たちを外部被曝から守ることはできないことを示している。問題は除染にお金がかかること。除染は専門業者に依頼しなければ難しい。1軒当たり平均40~50万円。
 政府は年間1ミリシーベルト以上の外部被曝については除染に責任を持つと閣議決定し国民に約束した。栃木県のほぼ全域がこれに相当する。ところが政府は約束を反故にした。
 福島県内ならば高線量で除染費用などが保証される。福島ならば栃木県よりも低線量の場所でも適用される。ところが一歩栃木県に入ると除外される。福島の子供たちと福島の子供たちにどんな違いがあるのだろうか。この不条理な規則の撤回を求める署名は1ヶ月で五万人を超えたが国は頑強に拒み続けている。那須町の町長も直訴したがはねつけられた。
 そんな時に松戸市の英断とも言える取り組みが光明をもたらした。
 松戸市の取り組みとは。子供のいる家の除染を市が一括して受け付ける。市民の負担はゼロ。国の低線量メニューに含まれる分は国に請求し、含まれない部分は市が負担して、東京電力に賠償請求する。効果が出るまで何度も除染する。約1万3千世帯がすでに申し込んでいる。子を持つ松戸市民は大きな安心を得た。ちなみに松戸市の放射線量は栃木県北部の半分程度。
 松戸市にできて那須町にできないはずがない。請願書は那須町議会でも採択され町長は真剣な取り組みを約束してくれた。松戸市に学ぼう』

 ざっとこんな内容である。
 放射線が屋根や壁を突き抜けてくるのはγ線のためだ。福島第一原発事故から1年9ヶ月。放射線の影響は子供たちへジワジワと浸透している可能性がある。
 ボクももし孫たちが万が一放射線量が高い場所に住んでいるとすれば心配で心配でたまらないだろう。いつ、放射線による障害が発症するかわからないのだ。

 問題は放射線の高線量(低線量でもそうだが)の場所を特定して費用を負担するとかしないとかを決める政府のやり方である。

 夕方のニュースで報じていた青森の東通原発の下には活断層が通っている可能性が高い。と言うニュース。ところが東北電力は「雨水などが浸透して地層がずれた」と言い張っている。
 この雨水浸透論?は東通原発を作る時にOKの判断とされていた。GOサインを出したのは誰か。政権に復活した自民党だった。その辺の所を彼らはどう誤魔化すのか。ある意味注目したい。

 「はだしのゲン」の作者である中沢啓治さんが亡くなったと報じている。73歳である。若い。広島で被曝し奇跡的に生き延びたと言うが原発の影響は少なからずあったと思う。
 父、姉、弟は原爆の時に亡くなっている。お母さんはその後長年放射能の後遺症に苦しみ65年に亡くなったという。自伝的な「はだしのゲン」を執筆した時の苦悩はいかほどだったか。
 唯一の被爆国である日本。そこで起きた福島第一原発事故。なんと日本人とは懲りないのだろうか?と考えてしまう。

 普段目にしない貴重な地方新聞の記事を送っていただいたことに感謝である。



我が家のとわちゃん。妙に酒飲みの好きそうなものが好物である。今日はハタハタのショッツル鍋を作ってもらったらぬめぬめするブリッコを食う食う。いいなぁ。しっかりと酒飲みになってくれ。ただジジのようにアルチュウハイマーにはならないで・・・。
これにて本日のブログは終了です。

『ミツバチの羽音と地球の回転』


警報連発

 暴風雪と波浪警報が連発されている。それに大雪、低温などの注意報が出ている。今のところ割に雪は積もっていないが油断はできない。
 連休明けに職場の積雪計を見たら50儖未泙派茲靴討い襦L斉録薪瀑汁曄水道の凍結には十二分に注意せねば・・・。


原発推進の理不尽さ

 あちこちで自主上映がなされているドキュメンタリー『ミツバチの羽音と地球の回転』のDVDを購入した。なかなか見る機会がなかったが今日じっくりと観た。

 山口県上関原発建設予定地の前にある「祝島」という小さな島で反原発を30年間にわたって訴える人たちの話。そして、未来のエネルギーをどうするのか?を考える例としてスウェーデンの自立したエネルギー政策などを取材した2時間15分のドキュメンタリーである。

 中国電力側は埋立地として海中ブイの設置しようとする。それを阻止するために祝島の人たちが海上に船をつないでピケを張った。これを説得しようとしてマイクを握って呼びかける中国電力の偉い人の発言がひどい。

「20年、30年後に原発を作って良かったという時がきます」
「原発の埋め立てをしたからと言って海の環境が変わることはありません」
「祝島は農漁業の一次産業ですがそのうち廃れます。そのために原発は必要です」

まぁ、こんなことを平気で話している。人の痛みや考え方がわからない人間だからこんな政策をやるのだろうと思いながら「バカヤロー」と画面を見ていて涙が出るほど腹が立った。結局、海上ブイの設置は住民が知らないうちに設置したという後日談まであった。

 映画では出なかったが、このブイ設置後に東日本大震災で福島第一原発の事故が起きた。その後、原発政策は「0」とか「凍結」とか「卒原発」など少しゆれ動いた。しかし、先日の総選挙で原発政策などの争点をぼかして(隠して)大量当選した自民党の幹事長石破氏が選挙前に自民党有利の下馬評を受けて

「上関原発、安全安心なら建設妨げない」

などと言い出す始末。これじゃあ間違いなく原発推進に邁進することは目に見えている。福島第一原発を「安全だ」と強引に作ったのは自民党だったことに口をぬぐっているのである。政治家は金儲けしか考えていないのだから。

映画の最初の画面に次のメッセージがある。

  ミツバチのどんなに小さな羽音でも
  地球の回転にすら影響を与えているかもしれない
  自然と共振しそこからエネルギーを作り出す
  ミツバチのような人々の羽音が聞こえてくる

 小さな祝島。そこに住むおばちゃんたちの反対する気持ちパワー。もっともっと見ならわなければと考えさせられた。日本中の原発に反対する小さな声が決意が世界を動かすのだなぁと勇気をもてた映画だった。

   どんなにも反対しても知らぬふり原発推進地球を壊す


我が家のわかちゃん。何度も書いているが背筋力もアップしグイッと反り返ることができる。動きの活発さに感動している毎日です。
と、言うわけで本当のホワイトクリスマス。軽く飲んで休みます。これにてブログ終了です。

そうそう、本日「日ねくれカレンダー」について教えてもらいました。来年分は発行されないとのことです。残念・・・。やはり「日ねくれ」を1年分ひねり出すのは並大抵の技でないだろうなぁ。そのうち復活を願いたいものです。

『昨日、明日、また明日』


本田武久さんの本とCD

 11月に逝去された本田武久さんの歌声を聞きたくてCDを探したら本田さんのHPを発見。
 そこには『胞巣状軟部肉腫闘病記「もし、僕のうたに翼があったなら~告知を受けてからの生き方~」』という闘病生活のために歌えなくなった時に自分の生き方を残しておこうという1冊の冊子が見つかった。
 早速注文。届いた本を読みながら昨年ボクの職場でおこなわれたコンサートで話した内容を思い出した。
 生い立ちから角館高校、山形大学をへて教師になり歌い手になることを夢見て東京芸大に入ったことから始まる。
 そして、日本に10人もいないという治療法のない難病を発症。それでも歌い続けることを決意したことを淡々と記している。

 そして、2枚のCDが届いた。1枚『Precious Love~愛する喜び、愛される幸せ~』は2011年3月の録音。ピアニストは職場のコンサートでも弾いて下さった須江太郎さんである。このCDの録音後に来てくださったことになる。ここには本のタイトルにもなった「翼をください」が入っている。
 そうしてもう1枚『昨日、明日、また明日 ~本田武久デビュー15周年記念アルバム~』は2012年4月に録音されている。このCDが絶唱とも言えるのかもしれない。

 心にしみる歌をあらためて聴くことができた。


クリスマス

 昨夜、初代桂小文治のCD「尻餅」をたまたま聞いていた。内容は年末に苦しい夫婦の話である。そのマクラで小文治師匠はクリスマスのことを「苦しみます」と言い、サンタクロースを「さんざん苦労す」と言っていた。妙に懐かしく聞いていた。

 で、今日はクリスマス。ジジバカはもちろん、とわちゃんにクリスマスプレゼントを買ってあげた。たまたま夕方我が家に出張サンタクロースが来てくれるとのことでお願いした。
 するとナマハゲと同じようにサンタクロースも怖いようである。目を合わせない。なるほどねぇ。クリスチャンでもないけれどギターで「きよしこの夜」を歌い(キーがCでは絶対声が出ない)ケーキを食べて1万円もするドンペリとかいうシャンパンを飲み病気路線一直線であります。と、言うわけで本日はクリスマス。孫たちよ元気に育ってくれと祈るばかりである。だんだんハチャメチャになってきた。

  待ちわびていたこともあるクリスマス我が家たいてい酔っ払いだけ

本日のブログはこれにて終了です。

有馬記念


競馬は負けでした

 写真は涙に曇って灯りがボーッとかすんで風景が見えた。と、いうのは嘘なんですが・・・。ピントがずれてシャッターを押したら写ったのがこの景色。実際には真ん中の写真のように薄暗くなった夕方、大曲のジャスコ方面を見た景色なのである。

 で、涙に曇ったのは競馬なのです。競馬の有馬記念で負けたのであります。もっとも当たることが珍しいので負けることは当たり前と言えば当たり前のことです。

 何しろボクは一番人気の馬や評判の高い馬はどうしても買いたくない。たとえ、その馬が鉄板で勝つとしてもである・・・。まぁ、そんなに鉄板の時には買いませんが。

 今日の有馬記念。今年の漢字で「金」が選ばれたと言うことで「ゴールドシップ」とか言う馬が一番人気。まずボクは今年の漢字は「金」であるわけがないと反発。
 そして改めて出走馬を見ると「オーシャンプル-」「ダークシャドウ」「ビートブラック」など今年を表す色合いの「暗~~い色」の名前がついている馬がある。これに乗るのがボクのようなへそ曲がりとしてはスジである。プラス、ここ何年か虐げられていると言う武豊を入れる。
 そんなわけで1着以外は入選になるように選んでいたんですけれどねぇ・・・。

 ま、こんなもんでしょう。

   なぜこうも本命避けて賭けますか有馬記念は「夢を」正しく



我が家のわかちゃん。とわに続いてA4版のサムネイル式の写真を作ってみた。誕生から6ヶ月あまり。ちょうど上手い具合に半年分が収まった。眺めていると半年の成長が甦ってくる。
と、言うわけで本日のブログは終了です。連休二日目もドタバタと・・・。

日ねくれカレンダー


今日は22日

 ボクの勤務している机のすぐそばに「日ねくれカレンダー」という日めくりカレンダーがかかっている。このカレンダーを発見してかけているのは3年部の主任である。なかなかお洒落なカレンダーだと思う。
 この作者は仙南村に住んでいる若きデザイナーの澁谷さんという方だ。
 そして今日は「22日」。それが、こんな裏返しの日めくりなのである。
 ヒントは裏返っている「22」の右隣にある×900?なのだが理解するまでしばらく時間がかかった。まったくボクは頭が固いのです。
 カレンダーの下に「頭を柔軟にして・・・」と書かれている。なかなかおもしろいカレンダーだ。
 はたして澁谷さんは2013年の「日ねくれカレンダー」を製作したんだろうか。それが知りたい。


化石

 秋田市茨島付近にあるユニクロに行った。店の前には30僂曚匹諒燭蕕壁濱个置かれている。何気なく見ていたら一つの敷石に針葉樹のような化石の入っている敷石があった。
 その他に桂化木のような敷石もあり店の中ばかりでなく店の前で石を眺めるのも結構楽しめた。まぁ、単にそれだけの話ですが・・・。

  ユニクロの店の敷石化石有りなぜか得した格安ズボン



我が家のとわちゃん。2週間前から回復してもりもり食べる。お腹がポンポコタヌキのようになっている。良かったなぁ。体力を回復してきたので元気さも一杯なのだ。
昨夜の忘年会。飲み過ぎ飲み過ぎ。夜になってもイマイチ調子が悪いです。反省なり。
これにて本日のブログは終了です。
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