本気で反対したのか??
スズメ
南外にカメイスーパーがある。少しずつ商品棚も回復している。それでもまだまだかもしれない。買い物のついでに電線を見上げたらスズメが二羽。
原発に対する女子中生の鋭い発言
大地震から2週間経過。アッと言う間である。大きな被害を受けた震災地には復興を祈るだけだ。自分でできることは今のところ何もない。ただ、祈るだけしかない。
さて、福島第一原発の事故について考えると将来への不安が山ほど出てくる。それはボク自身のことではなく将来を担う子どもたちに対してだ。昨夜、塩竃のお父さんからのメールにもそれは切々とつづられていた。ちょっと引用したい。
『原発はだんだん状況が悪化しているようです。不安でしかたがありません。私は60年間生きていますから放射汚染うけても心配しません。しかし、20年後の娘たち、まして孫のことを考えると本当に不安です』
この考えが多くの人たちに共通するものであろう。
福島に住んでおられるアマチュア無線の大先輩のブログ
http://blog.goo.ne.jp/ja7pl
にも原発の恐怖にさらされているストレスについて書いておられる。
その中にかつて原発に従事した平井憲夫さん(原発の放射線の影響でガンを発症し現在は亡くなっておられ方)の原稿『原発がどんなものか知ってほしい』のアドレスが紹介されている。下のアドレスです。少し長い文章だが読んでいるうちに原発の怖さが伝わってくる。興味のある人は是非一読を。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
これを読んで平井さんが5年前に原発事故をほぼ確実に予測していたことに驚く。そして、彼が北海道泊原発近くの町で講演した時の様子がボクのような商売をしている人間に重くのしかかる。
それは平井さんが招かれた教職員組合の講演だった。そこで中学2年生の女の子が泣きながら発言したことである。少々長いが引用したい。
『(女子中生の発言として)
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、24時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」
と、泣きながら300人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」
と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。そして
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」
と言う。
「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」
って、泣きながら訴えました。私が
「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」
と聞きましたら、
「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」
と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」
って。
担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです』
ボクも原発問題では反対の立場にいた。しかし、この中学生が話すように僕に対して一生懸命反対したのか。と、問われたらつまってしまう。「なんとなくだった」と言われても頭を下げるしかない。
そんな重い問題をはらんでいる原発。日本はもっともっと考えるべきだ。と、言っても現実の事故を終わらせないとなんともならないが・・・。
今日、宮城の塩竃と東松島市で津波で家が水に浸かった人たちが我が家に気持ちの切り替えで来てくれた。ちょっとの間だがゆっくりして今後の復興にあたってもらいたい。軽く一杯やりますのでこれにて本日のブログは終了です。