悪いことしちゃダメだ
黄金色の空
昨夜来の雨も朝方には上がった。今朝から素晴らしいとは言えないがミニ小春日和の感じの一日だった。
夕方、西の空は一瞬黄金色に染まった。そしてすぐに日暮れになり夕闇の空が広がり十六夜の月があがってきた。
今朝の魁新報の読者文芸短歌欄に次の二首が選出されていた。
けふかぎりとおもへるほどの小春日に冬の支度がいよよ捗る
大仙 高橋 岑夫さん
小春日の今日の青空吾のもの球根ひとつひとつ埋めてゆく
秋田 加藤トシ子さん
どちらも小春日和の短歌。本格的な冬に向かう今日この頃。小春日和の日は「今日しかない」と思ってしまう気持ちがよくわかる。素晴らしい天気がありがたく、何となくもったいなく、そして妙に切羽詰まった気持ちになる。そんな一日だった。
今日の日は二度とないとは思いつつチョークの粉は光に透けて
煙管(キセル)
最近、JRの無人駅と無人駅の間で「キセル乗車」が増えていると報告と注意があった。
ウーム。けしからんなぁ。しかし、待てよ「キセル乗車」の意味というか「キセル(煙管)」を知っているんだろうかなぁと思った。
ボクは嫌煙家であるが父は愛煙家だった。
父は両切りの紙巻きタバコのピースを吸っていた。さらにキセルも愛用して刻みタバコも楽しんでいた。
使っていたキセルは竹でできている羅宇(ラオと言うようだ)の部分が長めの物だった。
刻み煙草を雁首に詰めて囲炉裏で火をつけ「フーッ」と一服。そして、囲炉裏の縁にポンとたたいて刻みタバコを詰め替えて、また一服。なかなかに格好いいなぁと子供心に思っていた。臭いやヤニは嫌いだったが。
子どもたちを叱る時には囲炉裏の火箸とともにキセルが大活躍した。囲炉裏の周りに正座させられた兄妹三人(と、言うよりも兄弟二人)は父に一喝される。
「頭を出せ」
兄妹は素直に頭を下げる。すると
「カンッ」
とキセルの雁首の部分で頭をたたかれた。時には火箸であったが・・・。火箸だと細長いコブができた。しかしキセルの雁首の時は痛みは軽くて済んだ記憶がある。
さて、キセル乗車とは次のことだ。
キセルの下手くそな絵を描いたのだが構造的に中程は竹(羅宇という)。雁首と吸い口は金属。
入り口と出口が金。中間部分は金がない。つまり入り口で安い乗車券を買い、出口で入場券など安い料金で出て行く。中間乗車区間の乗車賃を払わない不正乗車行為だ。
雁首と吸い口が金属(金物)のキセルの形態からついた犯罪行為。この由来を高校生の頃に聞いた時「ヘーッ上手なたとえだなぁ」と感心した。
ところで落語にもキセルは良く出てくる。昨年、康楽館で開催された五代目桂米團治の襲名披露でゲスト出演した柳家花緑の噺「長短」もキセルが噺の脇役になっている。また、タイトルは忘れたが「羅宇屋」が登場する噺もある。
落語では扇子をキセルに見立てて噺を組み立ててゆく。なかなかに面白いものだ。やはり落語を聞くと頭が良くなるのかもしれない。そりゃないか・・・。
と、言うわけでキセル乗車という言葉を聞いてついつい色々なことを考えてしまった。悪いことをしてはダメだぜ。
本日のブログはこれにて終了。ビールを三杯飲んで寝ます。