言葉のむずかしさ

カメラテスト?
クワッシャッ。車に乗り込もうとしてバッグからカメラがこぼれ落ちた。コンクリートに落ちた音だ。ヤバイッ壊れたかも・・・。
恐る恐る拾ってみるとレンズフードがギザギザに傷ついている。スイッチを入れたらスイッチは入る。そしてレンズを覗き込んだら画像も大丈夫。シャッターを押してみたらパシッとシャッターがおりた。ちょっと安心なり。
試しに撮した画像が黄色に色づき始めた山椒の木である。まったく物を大切にしない人間だ。反省反省。反省のために本日のブログの写真。ごめんなさい。
「がっつり」
魁新報2010.10.26付のコラム欄に『おじさん図鑑 嫌悪感覚え一瞬で沸騰 はやり言葉』というのがあった。
読みながら「なるほどなぁ」と思った。それは次の三つの言葉に「嫌だなぁ」と思うとのこと。
『がっつり』『無理無理』『どうよ』
ウーム。『どうよ』については年配者は使わない。と、書いている。しかし、ボクは使うなぁ。
「今日のテストは どうよ?」
てな具合。あまり違和感はない。「無理無理」も毎日若者たちに結構言われているのでそれほどの嫌悪感はない。でも簡単に「無理無理」と言われると少しガックリすることは確かだ。
だが「がっつり」は使わない。そして、やはり違和感がある。「夕べ、焼き肉をがっつり食って」などと話しているのを聞くと「なんてこった」と思うのだ。要するにボクも単なる老人なのかもしれない。
ボクが若い頃に流行したクレージーキャッツの「スーダラ」「お呼びでない」「ガチョーン」などなどは当時の年配者たちにとって嫌悪の対象だったろうなぁ。ボクは自分で積極的に使うことはなかったが、他人が使っていても特に違和感はなかった。
言葉は時代とともにドンドン変わっていることは認める。そして、その言葉が新しい言葉として認識されてゆくことも当然だ。それが言語というものだろう。それでも「がっつり」には「がっかり」する。いずれ消える言葉なのか生き残るか少し興味はあるのだが。
そう言えばボクはもう一つ「絆」という言葉を聞くと妙に気恥ずかしさを持ってしまう。この言葉は昔からあった。しかし、できるならば使いたくない言葉の一つではある。まぁ、部活動の部員たちが部の方針を立てる時に良く出る言葉が「絆」だった。それを否定もできずに「そうかぁ」と言っていた。でも、やっぱり「きずな」と言う言葉を聞くと何だか身体全体がむずがゆくなるのはなぜなんだろう。
やはり歳のせいかもしれない。これが結論かも。
ハクチョウが田んぼに休んでいる光景を毎日のように見かけるようになった。今度は車を停めて1枚撮影してみようと思っている。北海道では渡り鳥から強力な鳥インフルエンザウイルスが見つかったとか・・。急な気温の降下でノドが少し痛み出した。早めにマスクでもして休まねば。これにて本日のブログは終わりです。