懐かしき応援歌
真冬日
昼の気温が-3℃くらいでズーッと推移していたようだ。真冬日だった。朝には久しぶりに20㎝を超えるくらいの積雪があり冷え込んだ朝に除雪で少し汗をかいたのであります。
冷え込んだ朝にふんわりと降った雪の景色です。
朝方には雪があがったので弱い冬の日差しが照らしている。
手袋にふわりと付着し融けぬ雪ポンと叩いてさぁ雪よせだ
懐かしき外小友小学校の運動会の応援歌
すでに40年以上も前に閉校したボクの卒業した外小友小学校では毎年の春に運動会が開かれたのである。まぁ、どこの学校でも当たり前のことでしょうが。外小友はたまに「そとことも」と読む人もいますが正しくは「そとおとも」と呼びます。我が古里である。
ボクは足が遅いし「体操」ができないと言うことで運動会が大嫌い。いつも雨が降ってくれればいいとか学校がなくなったらいいのになぁとか思っていた。しかし、残念ながら雨も降らなければ学校も普通に存在していた。
当時の小学校の運動会は学年を超えたチーム編成で赤・白・黄・緑(だったと思うが)に分けて対抗戦形式になっていた。それぞれの色の旗を振ってチームの応援をするのだが、その色ごとに応援歌が決まっていた。
ここからが本題なのだが、今朝2年後輩のJ君から電話。
「実は小学校の応援歌の歌詞を聞きたいのですが・・・」
「エーッ、オレもよく知らねーなぁ」
「赤・白・黄・緑とあったはずだったんすども」
「ンダンダ」
で、それぞれの知っている切れ切れの記憶にある応援歌の歌詞を思い出しながら話した。
でも、完璧には思い出せないのである。例えば
『春の桜も散り過ぎて、野には緑の草繁り若益荒男の勢い強くここに出したる○の軍(○の色がよくわからないのである)』
『将軍山下に鍛えたる○の健児の勢いを腕わき血わき肉躍る走れや走れやわが選手(だったと思うが・・・)』
『日頃鍛えに鍛えた力、見せるはこの時いざ腕試し、走り鞍ならアラビア馬よ(このあとが思い出せない)』
もう一つが出てこない。資料もないし・・・。
と、まぁ思い出しながら書き留めておいた。この応援歌は歌っていると最後には同じメロディーになってしまう。おそらく軍歌かあるいは旧制高校の応援歌などの焼き直しだと思う。何とか4色の応援歌を完成させたいと思っているがどうなりますかねぇ。
久しぶりの頭の体操だった。60年も前のことを思い出すのは大変な作業だが、別な意味で言えばよく憶えていたとも言える。やはり三つ子の魂百までもなのかもしれない。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。
昼の気温が-3℃くらいでズーッと推移していたようだ。真冬日だった。朝には久しぶりに20㎝を超えるくらいの積雪があり冷え込んだ朝に除雪で少し汗をかいたのであります。
冷え込んだ朝にふんわりと降った雪の景色です。
朝方には雪があがったので弱い冬の日差しが照らしている。
手袋にふわりと付着し融けぬ雪ポンと叩いてさぁ雪よせだ
懐かしき外小友小学校の運動会の応援歌
すでに40年以上も前に閉校したボクの卒業した外小友小学校では毎年の春に運動会が開かれたのである。まぁ、どこの学校でも当たり前のことでしょうが。外小友はたまに「そとことも」と読む人もいますが正しくは「そとおとも」と呼びます。我が古里である。
ボクは足が遅いし「体操」ができないと言うことで運動会が大嫌い。いつも雨が降ってくれればいいとか学校がなくなったらいいのになぁとか思っていた。しかし、残念ながら雨も降らなければ学校も普通に存在していた。
当時の小学校の運動会は学年を超えたチーム編成で赤・白・黄・緑(だったと思うが)に分けて対抗戦形式になっていた。それぞれの色の旗を振ってチームの応援をするのだが、その色ごとに応援歌が決まっていた。
ここからが本題なのだが、今朝2年後輩のJ君から電話。
「実は小学校の応援歌の歌詞を聞きたいのですが・・・」
「エーッ、オレもよく知らねーなぁ」
「赤・白・黄・緑とあったはずだったんすども」
「ンダンダ」
で、それぞれの知っている切れ切れの記憶にある応援歌の歌詞を思い出しながら話した。
でも、完璧には思い出せないのである。例えば
『春の桜も散り過ぎて、野には緑の草繁り若益荒男の勢い強くここに出したる○の軍(○の色がよくわからないのである)』
『将軍山下に鍛えたる○の健児の勢いを腕わき血わき肉躍る走れや走れやわが選手(だったと思うが・・・)』
『日頃鍛えに鍛えた力、見せるはこの時いざ腕試し、走り鞍ならアラビア馬よ(このあとが思い出せない)』
もう一つが出てこない。資料もないし・・・。
と、まぁ思い出しながら書き留めておいた。この応援歌は歌っていると最後には同じメロディーになってしまう。おそらく軍歌かあるいは旧制高校の応援歌などの焼き直しだと思う。何とか4色の応援歌を完成させたいと思っているがどうなりますかねぇ。
久しぶりの頭の体操だった。60年も前のことを思い出すのは大変な作業だが、別な意味で言えばよく憶えていたとも言える。やはり三つ子の魂百までもなのかもしれない。
と、言うわけで本日のブログはこれにて終了です。