心から笑う日を


柳家小三治

 前々回のブログに小三治と扇橋について書いた。その後NHK放映の『プロフェッショナル仕事の流儀 柳家小三治』をあらためて見た。
 小三治の落語に対する気持や考え方からいろいろなことを感じることができた。

 彼は親の反対を押し切って人間国宝柳家小さんの弟子として高校卒業後すぐに落語会に飛び込んだ。高校時代は落語研究会でラジオ番組の素人落語勝ち抜き合戦で15週連続で勝ち抜いた。その実績をもとに落語家をめざした。
 小三治の落語の「うまさ」からラジオ・テレビに出る回数は増えていった。しかし、順風満帆だったわけではない。
 さらに、小三治は常に劣等感を抱いていたという。それは落語家としては生真面目すぎるということだった。落語家は黙ってそこにいるだけで笑いになる人もいる。その点、小三治は違った。真面目すぎて周囲に溶け込めない。

 その頃、一度だけ師匠の小さんが小三治の落語を聞いてやると稽古をつけてくれた。一生懸命師匠の前で落語をやった。そして小さんが言った一言が彼を苦しめた。その言葉は
「お前の落語はおもしろくない」
師匠に全否定されたのだ。そこから苦悩が始まった。何がおもしろいのか。何が落語の神髄なのか求める日々が続いた。

 そして、師匠の小さんと同じように名人と言われた古今亭志ん生の言葉に出会った。
「落語をおもしろくするためには 笑わせようとしないことだ」
落語とは笑わせるのではない、ついつい笑ってしまうものだ、ということに気づいた。
 それを知ってからは奇をてらわない、背伸びをしない、今日持っているもので勝負する。素直に演じることを心がけてきたという。

 アナウンサーが小三治師匠に聞いた。
「小さん師匠に言われた言葉で落語家を辞めようと思いませんでしたか」
「まったく思わなかった。好きで入った世界。どこまでも追求しようとした」
「なるほど」
「今日の自分を追い越そう。そして、明日は明日の自分を追い越そうとしている」
「そうですね」
「落語を知るようになってから、一番下からものを見ることができなければ落語ができないことを知りました。つまり、一番下に自分がならないと、その思いは感じることができない」
 小三治は20年程前からリウマチの闘病生活をしている。ご飯の時に飲む薬の量がはんぱでない。薬を手のひらにガバッと乗せて
「この薬が主食。ご飯は副食です」
さらに
「病気になって良かった.人のありがたさや、人の痛みを知ることができた。実際にものすごく痛いんですけどね」
と言う。

 ボクは考えた。小三治の話はボクの商売にもつながるなぁ。好きで入った道だ。少しぐらい苦しくても悩んでもその道を貫いてみることだ。しかし、そこで大切なことは「力を抜く」というか「しゃちこばらない」というか。そう言うことなのだ。
 ボクの好きな言葉「いい加減は 良い加減」これだなぁと感じる。

 小三治の高座には漢方薬の入った茶碗を出して落語を演じる。ところが前座が高座に置くのを忘れてしまった。小三治師匠の声が出ない。それをしのいで、一席終えて高座を降りた。前座に小三治は言う
「お客さん第一。お客さんのための商売だ。楽屋で偉い人の頭を踏んづけても、まぁそんなことがあっちゃあいけないけど、何があっても高座に間違いがあってはならない」
 お客さんのための商売。これを忘れている人間のなんと多いことか。と、思うのだが・・・。学校ならば生徒のための場所だけどね。

 なぜ、人は笑いを必要とするのかの問いに小三治師匠は
「(人は)ただ、笑っちゃうんじゃないの。笑うと嬉しいし、笑っている自分が好きなんだろう」
 本当に笑いは必要だ。人間だけが心から笑うとも言われる。その笑いを忘れないようにしなければいけないと考えさせられた番組だった。

 最後に小三治は
「プロは周りから見るとすごいな、立派だなと思う。しかし、本人はそんなことを思っていない。そんなことより今に夢中になっていると思う。それがプロだと思う」

 今を夢中になれる。今を全力で生きられる。誰もがプロなのだと気づく。

      ガハハハと素敵な笑顔に
        いつかなる強く抱こうそんな思いを

 写真は番組からキャプチャーしたもの。


今日のブログはこれにてジ・エンド。何だか小三治師匠の生き様に触発されて書いてしまった。ビールを軽く一杯。
 
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